ところが、「えっ……」と、高田さんがたじろぐ。高田さんとお母さんは苦笑いするどころか、深刻な雰囲気になっていた。
雅美にとっては想定外の反応だった。
母は、「ちょっと、こんなところで、何言ってるの」と珍しく乗ってこない。それどころか、「さあさあ、次の方も待っているし、行きましょう。今日は素敵な作品ありがとうございました」と話を断ち切り、アトリエを先に出て行った。
「あっ、お母さん!」と和也さんは母に声をかけると、「すみません、失礼します」と挨拶して、母を追った。
雅美も、「ありがとうこざいました!」と言うと、外に飛び出した。
後ろから、「ちょっと待って!」と、高田さんが声をかけてきた。
立ち止まる雅美に、「あなた、お名前は?」と高田さんが問いかけた。
少し離れた距離を埋めるように、「雅美です!」と叫び返す。
高田さんは、「……失礼ですが、歳は32歳ではないですか?」と質問を続けた。
「……はい、32です……」と雅美は静かに答えながら、高田さんがわかるように大きく頷いた。
ふいに、雅美の頭にある推論が浮かぶ。
「……」
高田さんが言葉を失っている。
雅美は、「失礼します!」と大きく頭を下げ、踵を返し、母と和也さんを追った。
――わかったよ、お母さん、あの人、あたしのお父さんだね……。
雅美は確信した。
思い返してみると、いつも明るい母が妙にしおらしくなっていたのは、そういうことなのだ。そして、何かグッきて、涙が溢れそうになる。でも、それは父と娘の思いがけぬ邂逅からではない気がした。もしかしたら、それもあるかもしれない。でも、とにかく切なかった。
人には言えない秘密を抱えながらも、高田健を褒めちぎり、高田健の絵を編み続けた母。それが、とてつもなく切ないのだ。
――お母さんは何を編み続けていたの……?
不意に母の笑顔が頭を巡ってきて、胸が苦しくなる。
――あたしが泣くのはおかしい。少なくとも泣きたいのは、お母さんだ……。
雅美は何事もなかったかのように母を追いかけた。
アトリエの一件は、母が昔の知り合いと会って恥ずかしかった――、ということになった。なったというより、そういうことにしたのだ。
(高校の同級生だったんだけど、お婆さんになった姿を見られて、恥ずかしかったのよー)
母はそう言って戯けた。
高校の同級生だったことを何で今まで隠していたのか――、とか幾らでも突っ込む事はできた。だが、雅美たちは、それ以上聞かなかった。雅美が真実を聞き出すのが怖かったのもある。
一方で、雅美と和也は、高田健が雅美の父だと確信していた。
高田健マニアの和也さんによれば、高田健が芸術を学ぶために渡米したのが32年前、雅美の誕生日の半年前だ。何らかの理由で別れたとしても、高田健と母が付き合ってたとしたら、雅美の父は高田さんだろう。高田さんは、母が妊娠している事を知らなかった――。