「私が紅茶をトレーにのせて運んでる、その私の手を。いつも描いていたの。」
濃い鉛筆で、スケッチブックに描かれたという、ともかの手を想像していた。
「へー、手をね。面白いですね。」
「でも、ここ数年いらしていないのが気になってね。紅茶が好きな絵描きじじいなんて、ご自分で言ってたりして。お元気でいるといいんだけど。あの鉛筆が紙をこするような、絵を描いている時の音が、時々懐かしく思えて。」
お客さんが、作り出す音。
その音も、この店を作って来た音のひとつなのだと、なみは思った。
「あ、今日は秋摘みの紅茶、オータムナルが入って来たの。一年で一番甘さのあるダージリンかな、美味しいですよ。」
「じゃあ、その紅茶とスコーンください。ウサギの焼印も、また見たくなりました。」
運ばれて来たオータムナルの湯気が、ティーカップの縁で静かに揺れて、ともかの手のデッサンが、まるで湯気の中に、浮かんで見えて来るようだった。
「ともかさん、お店の写真を撮らせて頂いても、いいですか?」
「どうぞ、ゆっくりしていって下さいね。」
なみは席を立つと、窓ガラス越しの庭にレンズを向けて、シャッターを切った。
そして、ミシンテーブルの上に置かれたシュガーポットに、ゆっくりとピントを合わせると、もう一度切った。
静かな店に、フィルムカメラのシャッター音が、二回鳴った。
その音に、あたかも耳を澄ましているような、焦げ茶色の日本家屋だった。
季節は過ぎて、日がある時間も短く感じ始めた冬のある日、紅茶屋さんを訪れた。
「寒くなって来ましたね。」
「なみさんが、季節ごとに来て下さるから、なんだか嬉しいです。」
「ともかさんに、季節の紅茶とスイーツを教わりながら、そして美味しく頂けて、こちらこそこの街に来る機会も出来て、嬉しいです。」
「今日は、何にします?」
「ともかさんの、おすすめは?」
「この季節になると、アプリコットジャムを挟んだ、ビクトリアケーキ。アッサムティーにミルクを入れても、合いますよ。」
「美味しそう、じゃあそれでお願いします。」
窓際のいつもの席から見る庭は、午後の冬時間になると、少しの日だけが斜めに差していて、音も無くひっそりとしているように見えた。
すると、なみの座る席からは遠いはずのキッチンから、聞き覚えのない音が聞こえて来た。
それはガラスを、尖った何かでひっかいているような、聞いているだけで、なんだか鳥肌が立って来そうな音だった。
ともかが、誰かと話している声が聞こえて来た。
なみの他には客のいない店の中に、小さな女の子の手をひいて、ともかがやって来た。
ミシン席のちょうど後ろにある、木製のトイレの扉を、ともかが開けた。
その扉はむかし、日本家屋の雨戸として使っていたもので、ともかがまだ小さかった頃に描いた絵が、扉の下の方に残されていた。
「ほら、ここにあるでしょ。」
小さな女の子の目線の先には、針金で削るようにして描かれた、花の絵があった。