「あ、あのお客さんが、軽井沢に農園を持っていらしたので、前にお店で使うアンティークの食器をイギリスまで買い付けに行った時に見つけた、ルバーブの種を差し上げたの。そしたらその種を農園で育ててくれたので、それをタルトにしてみたの。少しだけ甘酸っぱいですけどね。」
「美味しそう。そのタルト、頂きます。」
「紅茶は、どれにします?」
「どれが、いいですか?」
「シンプルなブラックティーのウバとか、コクがあって爽やかな感じが、タルトにも合いますよ。」
「じゃあ、それでお願いします。」
「お客さんと、何か作れたら。」
いつか耳にした、ともかの言葉を思い出していた。
すると何かが、窓ガラスに当たる音がした。
窓越しに見える庭に目をやると、もう一度それはやって来た。
黄土色のカナブンが、四角い頭を窓ガラスに何度もぶつけながら、鈍い音を出していた。
その向こうにゆらゆらと、黒いアゲハチョウが飛んでいて、アゲハの揺れる音にまで、耳を澄ましてみたくなった。
こんな風に、虫の音に気持ちを託してみたのは、初めてだった。
ルバーブのタルトと、ブラックティーが運ばれて来るまでの時間が、届けてくれた虫の音。
紅茶屋さんには、耳を澄ましてみたくなる、心の時間がありました。
桜の季節に訪れた街は、寺町の路地裏散策から始まったものの、一軒の紅茶屋さんとの出逢いから、その街に暮らす人たちを、知るようになって行った。
季節は、秋になっていた。
夕刻の紅茶屋さんに、なみが来たのは、初めてだった。
街には、夕方の四時を知らせる、音楽が流れていた。
むかし住む人たちが耳にした寺の鐘の音は、今では童謡「ふるさと」の音色へと代わり、街は今でも夕暮れに鳴る、毎日の暮らしの音を紡いでいた。
「さっきお店に来る途中、ふるさとの音楽、かかってましたね。」
「そうですね。私の母が小さい頃までは、お寺の鐘の音が、夕方の合図だったみたいだけど。この街は私のふるさとだから、大人になった今に聞くと、キッチンに立ちながら、なんだかしみじみとしてきたりする時もありますね。」
そしてやはり座るのは、いつものミシンテーブルの席だった。
「ともかさん、この前頂いたルバーブのタルト、とっても美味しかったです。」
「お客さんから頂いたルバーブ、沢山冷凍してあるから、またいつでも作れるの。なみさん、また焼きたてのタルトを、召し上がってね。」
「あのお客さんは、この街に住んでるの?」
「そう、近所にあるギャラリーを経営してる人なの。そのギャラリーで作品の展示をしているご年配の絵描きさんも、この店によく来てくれて、私の絵を、ちょうどこの席で、描いてくれていたの。」
「ともかさんの絵を?」