娘が不思議そうにオジサンと私を見た。オジサンが娘を抱き上げクニャッと顔を崩す。
「俺にもこの位の孫がいてもいいんだがね」
娘の水風船のような柔らかい肌が、オジサンの心を更にこじ開けたのか、家を出て行った息子さんの話を始めた。
「喧嘩して出て行ったきりだ」
正月にも帰ってこない、と顔を曇らせた。そのとき腕の中にいる娘がオジサンの頭をそっと撫でた。
「いいこ、いいこ」
オジサンの顔が再び崩れた。
「私も父に反抗してた時がありました。結婚して娘ができたのに、離婚して実家に出戻ってます。親不孝です。ジジババ不幸者です」
オジサンは何も言わずに、優しい顔を返した。
「あした、またね!」オジサンと娘の合言葉だ。合言葉が終わると、娘は小さな柔らかい手で私の手を握ってくる。この手を決して離すまい。母を亡くして泣いていた、あの時の私のような経験はさせたくない。小さな私の宝物だ。
帰り道、娘と歩きながら、明日はどんな野菜を勧めてくれるだろう、と思った。それほど美味しい胡瓜なら、今日はただ切っただけのサラダではないものを作ろ。
そういえば、別れた夫は「胡瓜の酢の物」が好きだった。思い出したのだ。「胡瓜の酢の物」は作るのが面倒だ。会社から帰り、娘を迎えに行き、慌ただしく食事の支度をする。私より帰りがはるかに遅い夫は、娘が寝て家事が全て片付いた後に帰って来る。
あの頃の私は余裕などなかった。手のかかるものは作れない。開き直っていたし、時間があるときも作ろうとしなかった。
夫も理解してくれていると思っていた。互いに口に出さない不満は、マグマのように溜まり、ちょっとしたことを切っ掛けに一気に噴き出した。そして相手を傷つけるようなことも平気で口にするようになっていった。
手を繋ぎ歩いている娘が、私の顔を見上げている。
「どうしたの?」
私は、心配そうに私を見る娘に訊いた。すると
「ママ、ないちゃだめ」
と娘が言った。きっと、私は悲しそうな顔をしていたのだろう。腰をかがませ「泣いてないよ」と笑顔を作った。
娘は小さな手を私の頭に乗せ、そっと撫でた。
「パパにも、いいこいいこするね」
まだ別れてからひと月だった。娘が私の宝物なら、夫にとってもそうだ。それなのに、その宝物を、私は彼から引き離した。
逢いたいだろうなぁ、きっと。
その日の夜遅く娘が寝てから、私は別れた夫に電話をした。呼び出し音が鳴っている。仕事が終わってないのだろうか、それとも寝てしまったのだろうか。
鳴り始めて10コールほどになる。やはり電話などしないければよかった。あとワンコールして出なければ切ろうと思った。