ときちゃんと明日も会おうと約束をした。
「あしたも、お念仏くる?」と私は祖母に訊いた。
祖母は「明日は、来ないよ」と答えた。
ときちゃんと約束したのだ。「あした、またね」って約束したのに。
次の日の夕方、私はこっそり抜け出し東急多摩川線に乗り込んだ。祖母と何回も乗っている。もう一人でも大丈夫だ。
一つ目の駅、「矢口渡」で降りる。大きな道路を渡って、道はまっすぐだった。
闇が迫っていた。しかし不思議と怖さはなかった。
だが、見つけられないまま陽は落ち、辺りは真っ暗になっていた。
道端に座り込んでいるとき近所の主婦に声を掛けられた。祖母が迎えに来るのを待つ間、涙は見せなかった。だが祖母の姿を見た瞬間、大声で泣き出したという。
その後、延命寺へ祖母に連れられて何回となく行ったが、ときちゃんと会うことはなかった。「あした、またね」という約束を、守らなかったから出てきてくれないのかも知れないと思った。
ときちゃんのことは誰にも言えないまま、いつのまにか記憶は薄らいでいったが、今でも時々夢で見ることがある。夢の中のときちゃんの顔は、ぼんやりしているが、いつも優しく微笑んでいる。
そして、泣き声で目が覚める。私の声だ。突然いなくなった母を捜し、泣いている私の声だった。目が覚めるといつも枕が涙で濡れていた。
90を過ぎた祖父母は元気に過ごしていたが、双磐念仏は私が引きついていた。娘はまだ幼ないため、5才になったら一緒に連れて行こうと考えている。
延命寺は鎌倉時代に開山した。火事で焼失したとき、地蔵だけが焼けずに残った。そのため地蔵を祀り、名を延命寺と変えたと言われている。寺の名前の由来となった地蔵は、子安地蔵として本堂に祀られている。
ときちゃんはあの地蔵様かもしれないと思った。娘を連れて行ったとき、ときちゃんは逢いに来てくれるだろうか?
娘が八百屋のオジサンとした約束を守ってやりたかった。次の日も商店街の八百屋へ立ち寄る。「あした、またね」が、生まれてからたった3年しか経っていない娘と、オジサンを繋げてくれたのだ。
「胡瓜どう? 今日の胡瓜は旨いよ!」
「胡瓜に旨いも不味いもあるのだろうか、新鮮なら美味しいに決まっている」正直心の中で思った。胡瓜はサラダに入れるくらいで、使う頻度は低い。
「新鮮なら旨くて当たり前って思うだろ? でも胡瓜にもジャガイモにも、旨いのとそうじゃないのがあるんだ!」
オジサンは「騙されたと思って買ってって!」と言った。
私は「では騙されてみますか?」と笑った。