私には、誰にも言わない秘密がある。それは5才のときの出来事だったが、祖父母にも言わないまま大人になった。私一人だけの秘密だ。言っても、母を亡くした悲しさから作り出した、架空の幻影として片付けられたに違いない。だが、あの少女との出会いが、あの時の私の心を救ってくれたのだと思っている。
離婚して祖父母の住む実家に戻ってから、ひと月になる。都内の仕事場から蒲田駅に戻ると、3才になる娘を駅前の保育所に迎えに行き、商店街で買い物をして帰るのがいつの間にか日課になっていた。
その日は、美味しい湯葉を買って帰るよう祖母に頼まれていた。娘にとって商店街はワンダーランドのようだ、眼を輝かせ小さな手を引っ張るように歩いて行く。生まれてから、たった3年しか経っていない子だ。
湯葉を手に入れてから八百屋さんに立ち寄り、野菜をあれこれ見繕う。八百屋のオジサンに、グリンピースを勧められる。今夜はピースの炊き込みご飯にしようと決めた。祖父と娘の大好物だ。
帰り際、オジサンが娘の頭に手を乗せ「あした、またね」と言った。娘は嬉しそうに「うん!」とうなづき「あした、またね!」と答えた。
そのとき、ふと、あの少女の記憶が蘇る。記憶の底に眠らせていたことだ。
私は5才のときに母を亡くした。交通事故で突然いなくなった母を捜し求めて、泣いていた記憶がある。父は営業職だった。日本中を飛び回り家にはほとんどいなかった。実質的に母子家庭のようだったのだ。その母がいなくなった。母を捜して泣く自分の声と、大勢の黒い服の大人たちの姿は、今でも断片的に蘇ることがある。
祖母はそんな私を不憫に思ったのか、外出時は必ず私を連れて行った。祖母と手を繋ぎ歩く。その手の温かさは、母のものと似ていた。
信心深い祖母は延命寺の双磐念仏に参加していた。蒲田駅から東急多摩川線に乗り、一つ目の駅「矢口渡」で降りる。5分ほど歩くと住宅街の中にあるお寺さんだ。800年もの間、ここで人々との繋がりを持ち続けてきた。
双磐念仏は鐘を叩きながら唱える念仏で、祖母が念仏を唱えている間、私はいつも本堂の階段に座っていた。祖母は私を残して死んだ娘の成仏を願い、念仏を唱え、鐘を鳴らした。私は念仏の声と鐘の音を聞きながら、母を想い、不思議と安らかな気持ちになれたのだ。
その少女は、突然私の隣に現れた。浴衣のような丈の短い着物を着て座っていた。顔は薄黒く、着物は汚れ、みすぼらしかったのだが、不思議なオーラのような空気を纏っていた。少女を見ても私はそれほど驚かなかった。
「とき」少女はそう名乗った。お念仏の間、私とときちゃんは楽しく話した記憶があるのだが、何を話したのか覚えていない。
そろそろお念仏が終わる頃、ときちゃんは立ち上がり「あした、またね」と言った。私も「あした、またね」と返した。本堂へ入って行ったときちゃんを追って、私も本堂へ入った。でもときちゃんの姿は何処にもなかった。きっとあの仏さんの向こう側へ行ってしまったのだ。何故かそう思った。