その場におっちゃんがいてくれれば、どんなに良かっただろう。私は何度もそう思うのでした。
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おっちゃんが団地外の病院に入院していることを知ったのは、将棋大会が終わって間もなくのことでした。
私はある土曜日、その病院に自転車で向かいました。もちろん、親には内緒です。
病院は想像以上に大きな総合病院でした。
私はエントランスに掲げてある案内板を見て、病室の位置を頭に叩き込みました。そして、怪しまれないように自然な素振りでエレベーターに乗り込みました。
病室階に着くと、私は端の病室から覗き込んでいきましたが、扉が閉まっていたり、カーテンがかかっていたりして確認できないベッドが多く、私は不安になってきました。
「おう、誰かと思えば、坊主やないか」
すれ違いざまに声をかけられ、私は驚いて顔を上げました。そこには杖をついた男が立っていました。
「お、おっちゃん?」
私は恐る恐る声をかけました。
「そうや。どうしたん? こんなところで」
確かにおっちゃんの声でした。ようやく会えた喜びよりも先に、私はおっちゃんの変貌ぶりに絶句せざるをえませんでした。
元々痩せていた身体はさらにやせ細り、腕は小学生の私より細く見えました。髭を剃った顔は骸骨のようで、落ち窪んだ眼球だけがやたらと大きく見えました。
「なんや、手土産はないんかい」
見舞いに来たことを告げると、おっちゃんはいつもの調子でそう言いました。
「病室は相部屋なんや。屋上行こか」
おっちゃんはゆっくりと歩き始めました。
屋上には、いくつかベンチが置かれていて、午後の穏やかな日差しが降り注いでいました。
「それで、持ってきたんやろ、盤を」
ベンチに座ると、おっちゃんは指先で駒を挟む真似をしました。
「おお、ひさしぶりやな」
マット盤とプラスチック駒を見て、おっちゃんは嬉しそうな顔をしました。
私は駒を並べながら将棋大会の結果を報告しました。
「ワシが教えたんや、負けるはずないやろ」
そう言うおっちゃんは、嬉しそうなドヤ顔でした。
ベンチに跨っての対局は、すぐに私が優勢になりました。おっちゃんは時折、苦しそうに咳をしながら駒を進めました。細くなった指先は小さく震えていました。
「全然、ダメやな」
おっちゃんは、猫背をさらに丸くして顔を横に振りました。
私はこのままいけば初めておっちゃんにハンデ無しで勝てると思いました。ですが、弱ったおっちゃんに勝っても嬉しくありません。
「魔法の黒い水さえあれば、こんなん簡単に逆転するんやけどな」
おっちゃんは憎らしげに盤上を睨みながら、そう呟きました。
「僕、買って来ようか」
私の言葉におっちゃんは目を輝かせました。
「ホンマか。ホンマに買ってきてくれんのか」
「うん。ホッピーでいいんだよね」
「そうや、そうや。ホッピーや!」