「弘子ちゃん、ちゃんと勉強してて偉いね。」
弘子ちゃんが顔を上げてうれしそうに言った。
「おじさんほめてくれてありがとう、宿題なんです。」
弘子ちゃんは相変わらずしっかりしていた。
「お久しぶりです。また来ていただいてありがとうございます。なんとなくまた来ていただけるような気がしていました。」
「実は、もしかして私はまあちゃんのお母さんのことを知っているかもしれないんだ。どこの出なの、お母さんは。」
「あまりよく知らないんです。ただ亡くなった時に戸籍謄本をとったら、九州の宮崎の出となっていてびっくりしました。そんな話は一度も聞いたことがなかったものですから。親戚にも一度も会ったことがないし。」
「お母さんの誕生日はいつなの。」
「昭和31年の11月26日です。」
やはりゆきこだ、私は飲みかけたホッピーを落としそうになった。
「まあちゃんの誕生日は。」
「昭和51年の10月20日です。年は聞かないで。」
まちゃんは笑っていた。なぜゆきこがこんなところにいたんだ。そしてまあちゃんの誕生日からすると、ゆきこは別れた時に私の子としてまあちゃんを身籠っていた可能性がある。
「お母さんの旧姓は、もしかして日高。」
「ええ、戸籍謄本にはそうなっていました。東京から一緒に住んでいた人と結婚して吉川になったんです。吉川さんは私を可愛がってくれましたが、私の父の欄はずっと空白でした。吉川さんがここ奈良の出で、東京からこっちに越してきたと聞いています。」
私は小学校から高校まで一緒の学校に通った日高幸子を思い出していた。子どもの頃から、さちこじゃないよ、ゆきこだよといつも言っていた。
中学2年の頃だった、たまたま同じ方向に家があり、自転車で学校から帰る途中一緒に並んで走った。それまで同じクラスになったことはあったが、あまり話したことはなかった。思春期だったので女の子と一緒に帰れて話せる、それだけでもうれしかったのを覚えている。それにゆきこはかわいい方だった。
ゆきこは足が速く、ずっとバスケットをしていた。共通の話題があるわけではなく、今となっては何を話したかも覚えていないが。それからはなんとなく週に一、二度一緒に帰るようになっていた。
高校受験が近くなり、私がけっこう有名な県立の進学校へ行くと伝えると、少し悲しそうな顔をした。
「私はそこは無理かな、でも頑張ってみようかな、まあちゃん勉強教えてよ。」
だが夏のバスケットの大会が終わると、ゆきこは進学塾に通い始め成績を上げた。すごい努力だったと思う。合格したときは、わたしもまわりも皆びっくりした。
高校へ入るとゆきこはやはりバスケット部へ、私はブラスバンドには入らず帰宅部になって何もしなかった。毎日、それでも学校に残って勉強し、ゆきこの部活が終わるのを待って一緒に帰った。
私の成績はそこそこで、三年の時は国立理科系を受験するクラスにいた。ゆきこにはやはりこの学校のレベルは高すぎたのか、私立文科系に進むクラスにいて、高校三年の夏には東京のキリスト教系の私立女子大への推薦をもらっていた。家は地方では有名な中堅の建設会社で、比較的余裕があった。私の父は教員であり、国立にしか行けないだろうと思っていた。姉も福岡の国立へ進んでいた。