「お客さん同じ年、若く見えますね。六十には見えませんよ。」
「実は私もまあちゃんて子どもの頃は言われてたんだよ。優雅の雅、みやびに、弘法大師の弘、ひろし、と書いて雅弘。」
私はまあちゃんに名刺を差し出した。
「証券会社の取締役営業部長さん、偉いんですね。やすぼうは東京で証券会社にいたんですよ。仕事がきつくて勤まらずに、奈良に帰ってきたと言ってました。」
「私は雅子、さっきいた娘は弘子、お客さんが言ってた、雅と弘の組み合わせです。そして母は、私たちの名前をお店で紹介するときは、お客さんが言っていた優雅と弘法大師の話をしていました。」
「雅弘という名前は多いし、優雅と弘法大師の話はよく聞いてきたよ。」
「お客さん、ホッピーに中を入れましょうか。」
「中もやってるの、あんまり儲からないね。じゃあ中をお願い。」
その後、中を二回ほど頼んで、だいぶ酔って私は店を出た。
東京へ帰ってからも、私は何故かおゆきの店が気になった。
そんなことがあった二ヶ月くらい後に、また大阪での会議があり、新年会も兼ねていて、相変わらず大阪で飲んだ。
翌日気になっていた奈良に行った。前と同じ奈良町の立ち飲み屋に寄ると、相変わらずやすぼうが店を仕切っていた。
「この前紹介してもらったおゆきはいい店だね。ホッピーはびっくりしたよ。若い頃はお金もなくて浅草でホッピーをよく飲んでたなあ。ところでまあちゃんのお母さんは、去年若くして亡くなったんだって。」
「ええ、きれいな人だったんですが、乳癌が再発して。」
私は突然、昔付き合っていたゆきこのことを思い出した。大学一年の冬休みに、私の前から急に居なくなったゆきこ。
奈良とゆきこは全く繋がらないなかったのだが、そういえば、この前おゆきに行った時、まあちゃんは不思議な話をしていた。ゆきこの名前、優雅の雅、弘法大師の弘。そして私の姉にそっくりなまあちゃん。やすぼうに尋ねた。
「まあちゃんのお母さんは、どこの人なのか知ってる。」
「それが自分のことはあまり話さない人で知らないんです。たしか四十年位前に東京から来て今の店を持ったみたいです。旦那さんはだいぶ前に亡くなりました。奈良町には、結構地元じゃない人も店を出してます。昔のことは聞かない方がいいこともありますから。」
「今からおゆきに行って聞いてみるよ。もしかして女将だったゆきこさんは知ってる人かもしれないんだ。今六時か、空いてるかな。」
「おゆきはあまり観光客が行く店じゃなくて、ここらあたりの地場の人間が行く店なんで、この時間はいつも空いてますよ。」
おゆきでは、今日も弘子ちゃんがテーブルで勉強していた。