より良好な生活状況を目指すためにはどうすれば良いか考える家族。この状態を維持し、変化があればその時に対応する家族。将来的には施設への入所を検討し始める家族。
もちろん、家族構成、年齢、経済面など、あらゆることが影響し合いながら様々な結論に至る。
ある日、彩乃さんが言った。
「今のままでは、ただ生かされてるだけな気がするんです。ヘルパーさんは確かによくやってくれてます。だけど、最近よく考えるんです。この先にある父の幸せって、何なんだろうって……それを見失い、今のようになってしまったのではないでしょうか」
あまりにも的を得た発言に、僕は言葉を失ったと同時に思考を巡らせた。僕たちがしている援助は、伸樹さんの困り事に手を差し伸べているだけで、それ以上でも以下でもない。
「田所さんは、どう思いますか?この先、父に必要なものは何でしょうか」
「そうですね……それは……」
彩乃さんの表情は、僕の発する言葉に期待を寄せていた。
「らしさ、です。お父さんらしさです」
「父らしさって?」
「好きなこと、何かありましたか?趣味や特技とか」
「仕事一筋だったからね、これと言った趣味が無いんですよね」
「そうですか……男性は難しいんですよね、特にずっと仕事一筋だった男性は」
「あ、けど一つだけ好きなものがあります。大好きなもの」
「なんですか?」
「ホッピーが大好きでした。私が子どもの頃からよく飲んでましたね。その影響で私もホッピーが好きになったくらいですから。母も大好きで、よく一緒に飲みます」
「なるほど、それ良いと思います」
「大丈夫かしら、お酒飲んで。何度か飲みたいって言われたことはあるんですが、病気だからダメだって」
僕は即座に「主治医に確認します」と、胸を張って言った。
「まあ、嗜む程度なら良いんじゃないかな。転倒しないように気を付ければ大丈夫でしょう」という主治医の言葉を僕はすぐに彩乃さんに伝えた。
「良かったね、お父さん。ホッピー飲んでいいって」
「懐かしいなぁ、ホッピーか」
伸樹さんの目尻に深いシワが浮かび上がった。それは僕が見る初めての表情だった。
晩酌が日課となると、伸樹さんの様子に変化が見え始めた。それまでは時々、昼夜逆転することがあったが、ここ最近はしっかりと生活リズムを取り戻した。処方されていた睡眠薬も中止となった。
「食欲も出てきたようで、よく食べますよ」
そう言った彩乃さんの表情は、とても嬉しそうだった。
伸樹さんの精神状態と体調は改善し始め、表情も少しずつ明るくなった。これまでは僕が挨拶をしてもまともに返事はなかったが、最近では「こんにちは」と返してくれるようになった。何より大きな変化は、嫌がっていたデイサービスに週二回通いリハビリを始めたことだ。
最近では、デイサービスから帰宅すると「ここでいい」と、玄関前の椅子に腰掛けて日向ぼっこをしているらしい。身体機能も徐々に改善してきている。
「難しいことはいらないんですね。たった一つのきっかけで変わるなんて」