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「つくねを、あの、串から外そうとしたら飛んでしまってその」慌てふためく私をよそに、彼は声をたてて笑い始めた。
「なかなか生きのいいつくねですな。あっはっは」
「あの、タレが」彼の白いジャケットの肘のあたりに、微かにタレが付着していた。
「ん。ああ大丈夫ですよ。おしぼりで、ほら綺麗。ははは。安物ですからお気になさらず」
「申し訳ありません」「なんのなんの」
奥さんも私に笑いかけた。感じの良い夫婦の応対と気恥ずかしさによって、長らく凝り固まっていた私の口元はふにゃりと緩む。
「はは。ははは」
手を伸ばし、つくねを掴んで皿へ戻すとただいま、と聞こえた。カウンターに付いたタレの跡をおしぼりで拭きながら私は言った。
「今、つくねがただいまって言いました」
二人とも笑ってくれた。その和やかな雰囲気に背中を押されるようにして、私は少し勇気を出して言葉を繋いだ。
「あのう。ホッピーというのは今はそうやってするのが主流なのですか。願掛けというか。久しく呑んでないもので知らんのです。いやその、盗み見てたわけじゃないのですが、どうも気になりまして」
先に吹き出したのは奥さんだった。
「やだもう。あなたが変なことするから」そう言って夫の右肩をぱしっと叩く。「違うんですよ。こんなことするのはこの人だけ。昔酔っ払った勢いでホッピーに願掛けしたらいい事があったみたいで、ね」
恥ずかしそうにこめかみを掻きながら、彼は私の方へ体を寄せてきた。そしてまるで秘密を打ち明けるかのようなひそやかな声で言うのだった。
「あのね、当たったんですよ」
「はあ。何がですか」
「宝くじ」
「えっ。そりゃすごい」
「それもねえ……五万円。ふふっ。わっはっは」つられて笑ってしまう。
「五万円というのがいいでしょう、なんだかささやかで。それ以来ね、ホッピー呑む時は願いを込めるのですよ。周りに勧めても誰もやりゃしませんがね。わはは。けどこれが意外と馬鹿になんなくて。なあ」
「本当にささやかなんですけどね、私の失くした指輪が見つかったり、旅行に行ったら素晴らしいお天気だったり。偶然、って言ったらそれまでですけど、本人も楽しそうだし、私もちょっぴり期待しちゃったりして」奥さんは手を口元に添えてふふっ、とおどけてみせた。
「いいなあ」思わず言葉が漏れ出た。自分でも驚くほど、素直な感想であった。小さな秘密を共有するかのようにして楽しんでいる二人も、ささやかな願いを叶えてくれるというホッピーも、そしてホッピーという剽軽な語感さえも。なんだか全部ひっくるめて、いいなあ。
「すみません、ホッピーをください。えっ。ああそうか、じゃあ白を」傍を通りかかった店員に私が告げると、二人とも嬉しそうな顔をした。「私も、呑んでみたくなりました」