でも、味わった後、味以外の何かがいつまでも尾を引いていた。
「ほらね、なぁんてことないだろう。そいつは見かけ倒しの名前負けなのよ。でも期待度は、ドライチどころじゃないでしょ」ってあの日、阿尾雨さんは、楽しそうにロマネスコをそう評していた。忘れたけどドラフト会議のシーズン
だったのかもしれない。
父親に恵まれなかった繭にとっては、ほとんど父親代わりに近い存在だった。
「ぜんぶ、食べな、残さないで。いつまでみてたっておんなじだってば。幻だったらばくばくくうよ。あっという間に。あ、幻の名前だしちゃまずかった?」
繭は、聞こえないふりでロマネスコを見てる。
白身魚のカルパッチョを食べてる時、そんな繭に気づいてか、「繭ちゃんさ、いいよ、いいよ。なんでも憶えておこうなんてしないでさ。思い出はいっつも憶えているからじゃなくて、時々思い出すからいいんだよ」
返事をするでもなく、声にならない感じでうんと頷いた。見破られているな、いっつも。ひょうひょうとしてるのに、なんかいっつも見透かされてるよ。
「そういや繭ちゃんさ、ロマネスコって古代ローマと日本の和がまじりあって生まれた野菜なの? 遠くかけ離れたものが、掛け合ったのにどうしてこんなに淡い味がするの? うわぁっ、とんがってなくてすっごくすきって言ったよ
な」
「え? 怖い。阿尾雨さんすっごく怖いんだけど。その記憶」
「そうか? そりゃ繭ちゃんの言った言葉はさ憶えてますよ。それにそれはロマネスコにかこつけて、幻ちゃんのこと言ってるのかと思ったもん」
「深読みしないで」
って言いながらもそうだったかもしれないと、それを心の底に沈ませた。
「カミさんにはさ、いっつもあたしが言ったこと憶えてないでしょ?って怒られてさ。バカ呼ばわりされてたけどね」
阿尾雨さんの言う<カミさん>は別れた奥さんのことで離婚してから3年になるのに、カミさんカミさんって会話のどこかにいつも出てくる。
パスタを茹でてる深鍋から湯気が立ち上ってる。硝子越しに見える厨房にいないなって思ったら、その先にある事務所まで遠ざかる足音がしばらくして阿尾雨さんが戻って来た。手には何かを持っていた。
「この間さ、書類の整理してたらこういうの出て来たよ」
テーブルの上に置かれたのは、一枚の名刺だった。
【ケーブルテレビ局・凪街/月野幻】
幻が仕事するときはいつも持ち歩いていた名刺だった。
月野幻。それは筆名でも芸名もなくて、リアルネーム。
幻は、ケーブルテレビ局で地域活性化部門を任されていたから商店街のお店レポートなども予算削減のためじぶんでやっていた。