繭が来たのを合図に2人はじゃまたねって帰っていった。
コバッチュおじさんも米田さんにも、ここを暫く訪れないことは言えなかった。阿尾雨さんは店の扉をくぐる時、そっとクローズドのプレートを表に向けた。貸し切りにしてくれるらしい。
阿尾雨さんの店の名は<ロマネスコ>だった。
いつだったか、昔。店の名前の由来は何? って聞いたらこれだよって、阿尾雨さんは細長くて白い陶器のプレートを置いて指さした。
ブロッコリーを幾分ひかえめにした、花びらがひらいたような姿がサラダになってまっしろなお皿のはじっこにちょこんと載っていた。
野菜のようで未然のようで。野菜の輪郭すら忘れてしまったようなそんな形を身に纏っていた。
マスターの阿尾雨さんは、あの日繭に言った。
「繭ちゃんさ、そんなに見惚れてないで、食べなよ」って。
かたちに触れる。色を眺める。色と形がひとつになって眼の中に飛び込んでくる。そのかすかな衝撃の強さに惹かれて、白い陶器のお皿に載った明るい緑色のそれは、いちばんさいごに食べることにした。
あの日とおなじ。阿尾雨さんが前菜にロマネスコをだしてくれた。
テーブルに置く時、ろまねすこでございって言いながら。
しばらくロマネスコを見ていたら、「繭ちゃんさ、そんなに見惚れていないで食べなよって、前も言ってなかった俺?」
「かもしれない」
この街に住んでから、ずっと夕食や休日のランチはここでお世話になっていた。ひとりの時も、誰か、つまり幻といっしょの時も、いつもここで。
はじめてのロマネスコの日。業を煮やした阿尾雨さんは言ったのだ。
「それさ、ネタバレしちゃうと、っていうかやっぱしないほうがいい?」って。
野菜の形に見入るなんてことはないのに、そのロマネスコという名のブロッコリー、このささやかな存在感ってなんだろうという瞬間が続いていた繭に見かねて阿尾雨さんが言ったのだ。
「こういうの、なんだっけ? デジャヴュか? だから繭ちゃんさ早く食べなって。ほんとうにおっもしれーよなそういうところ。変わってなくていいね」
再会したロマネスコを口に含んだ。いつも知ってるブロッコリーの少し青臭い味ではなくてとても淡白だった、相変わらず。