ほんとうはいつか遊びに行くよとか言いそうになったけど噤んだ。
「桐野、ありがとね。今まで思いっきりいじめてくれて、ちょっと助かってた」
返事を待ったけど、桐野は首を静かに縦にふるだけだった。
朗らかな桐野が今日は世界のおわりみたいな気分を醸し出しているから、こっちまで泣きたい気分になっていた。
帰り道とぼとぼ歩きながら、「ずっと失い続けていたものにやっと出会えたような」ってフレーズが耳のなかでローリングしていた。
そういえば、カンちゃんははじめゴーヤを探してわたしに譲り、次は自転車の鍵をなくしては嘆き、最終的にはお父さんをなくして哀しみをこらえていた。
気持ちを無理に切り替える。
「ホッピーマンは消えるし、桐野までじきにいなくなるしっ!」
寂しくなるとわたしはマチ子さんのことを思い出す。ただいまって学校から帰って来た時に、触れるふくよかなお腹あたりの日向の匂いのするあたたかさや、そなんなこと<てけてけでいいのよ>っっていう口調が甦る。え? それ、おもしろいなに? っていつか聞いた時「便利な言葉さ、てけてけは、いい加減でいいよっていう意味よ」って教えてくれた。
その音がおもしろくて、マチ子さんてけてけとか、おはようてけてけとか、ごちそうさまてけてけとかって言ってふざけては頭をぐしゃぐしゃに撫でられていた時のマチ子さんの掌の熱さを思い出していた。
夜のベランダに出て、空をみあげる。星がいくつか出ていた。駐輪所では、月が出ていた。そして、プランターにはゴーヤが弦を巻いていた。
職場から桐野も消えて、メールに返事すらよこしてこない不義理をあいつらしいと受け止める。ぎり昼下がりを共に過ごす人が桐野から吉川さんという、とても面白みに欠ける人に代った。吉川さんは、人と食事することが苦手らしい、とてもやっかいなこころを抱えているひとだった。
ほんとうにうれしいことは、日常のささやかなところにある。
今朝みたらベランダのゴーヤがすくすく育ってる。台風の時は避難させたけど、ちゃんとすくすくしていることが今のわたしにとっては、救いだった。
もう少ししたら、桐野がいうみたいにこの苦瓜に名前をつけそうになっているそんな今日このごろ。
いつものように凪街商店街を抜けた時、しずるさぁんって声が聞こえた。
ついに幻聴か、カウンセリングのお世話にならなければと思っていたせつな、おそろしくうるさいはた迷惑な金属音が聞こえた。
ぐりがりがり、がしゅっ。
がしゅっのところでなにかが止まる。みると、カンちゃんだった。
「わぁ、やっとミッケ。いつか偶然に逢えることに賭けてたのよ」
うれしそうに、カンちゃんが答える。
ふとみると今日もホッピー連れだった。
「乗って行く?」