カンちゃんは、すこしだけ声をしぼって話してくれた。
「お父様、」ってお悔やみを告げようとしたら、おおきなてのひらで制された。
「ありがとう、ほんまに。ホッピーいつかいっしょに呑みましょう」
そういうと、ふたたび自転車をかついで帰って行った。
それから何か月が経ってもカンちゃんに逢うことはなかった。
いつのまにか、カンちゃんを思い出している日が多くなっていて、これはひさしぶりの恋か? って狼狽えた。
なにかを決定的に逃したんだとおもう。ぼやぼやと凪街商店街を通り抜けて、もう風が秋、あ、キンモクセイの風の香りにまぎれて名前を呼んでいる声がしたらうれしいと思う。
「しずるさぁん、しずるさぁん」
あんな呼び方するのはひとりしかいないから、ふりかえるとカンちゃんだった、そんなことが起きるとうれしいと、ちょこっと思ったりしていた。
帰り路が近い桐野と立ち寄ったカフェで、奴はこころにちくっとすることを言った。
「ホッピーマンをもとめて、の気分なんだろう?」
ひさびさの傷心を笑われてもあまり響かない。シカトして店の窓にあたる雨の雫をみる。
「ひとってさ、あらかじめ欠けてしまったままの姿で生まれてくるって資料に書いてあってさ。失ったものはスペアがきかないし、ただ欠けるしただなくなるって。痛い言葉だけどさ。俺はいっそそういうこといわれたほうが安堵するよ、しない?」
桐野がじくじくとわたしを苛めて楽しむのかと思っていたけどそうでもないらしく、いつもの意地悪そうな視線を放つ桐野ではなかった。彼のやり方でなぐさめにかかっているらしかった。
「あぁ、この場所は初めてなのに知ってるって思ったり、あ、この人ずっとずっと過去のいつかにちゃんと逢ってたかもって思うことがまれにあるだろう」
すこし、今日の桐野はいつもと違っていた。
「もしかしたら、それはお前にとってのホッピーマンかもしれないし」
「だから、そういう揶揄しないで」
カンちゃんつまり酒木寛って名前を声にはしたくなかったからほんとうはホッピーマンって言ってくれるほうが、こころがやわらいだ。ほんとうのところ。
「なんでだか、そういう人や場所に出逢うとあぁここにあったんだ! こんなところに居たんだっていう、一瞬だけど、なくしたものがなんだったかがわかるようなそんな瞬間に出逢えるじゃん。失くしていたことも忘れたけど、何か
を探していたのかもしれないっていう感覚。根拠はないけどさ、あの感じってたぶん、ずっと失い続けてきたのものにやっと出会えたような一瞬のごほうびのような感じがするわけ」
それにしてもあんまり桐野が、まっすぐまっとうに饒舌なので顔を覗いた。
「なによ? 俺へん?」
「うん、かなりね」
間髪入れずに答える桐野が黙ってた。
「俺、異動なの北に。らしいよ」
「うそ」
北に異動は、事実上の左遷に近かった。
「だから、岸本とのこういうのも今日が終わりだと思うと、ちょっとペースが乱れた」
「芦別の支社?」