って指さしたのはあのおんぼろの自転車だった。なつかしい、なじみはないはずなのに、なつかしかった。
タンデムがどこなのかわからないぐらいだったけど、カンちゃん特製のタータンチェックの布が張ってあってそこに座った。
走り出す。カンちゃんが腰に手を廻しいって言うから、その通りにした。
街の景色は流れるように色が混ざり合っている。混沌とした物の輪郭が滲みながら、ここではない世界を映しているみたいに見えた。そしてカンちゃんの背中のむこうにわたしを育ててくれたマチ子さんを思った。思った途端てけてけって彼女の声が聞こえてきた気がして、不覚にも涙が出た。生まれたなみだは風が乾かしていった。
その日。カンちゃんは、ホッピーとキンミヤ焼酎付きでわたしの家に転がり込んだ。そしてにこやかに、そのホッピーとキンミヤ焼酎を冷やしてくれへん? って言った。あと、グラスとかもって続けて、つかつかとベランダにたどり着いた。
「これってさ、あの日のゴーヤの種かいな」
「そうあの日のゴーヤ」
カンちゃんを失ったと気づいた日、わたしはベランダに出て種を植えた。
たったひとつの接点が苦瓜の種しかなくてもわたしはそれに賭けた。
「種から育てるって、なんかいいよね。はじめっから知ってるんだよ、あなたのことって感じでさ」
わたしがそういうと、ふたりの間に凪がおとずれて。カンちゃんがふわっと背中から抱きしめてきた。
「今日はホッピーでお祝いやな」
カンちゃんはお父さんの四十九日を終えた日に、ひとりでホッピーを呑んだのだという。逢う度にいつもホッピーと共にいたのは、それがまるで父親のようで、同時に父親に守られている気がしたからだと打ち明けてくれた。
逢わない時間を埋めるようにふたりは夜通し喋った。
わたしはマチ子さんのことを、カンちゃんは大工さんだった洋二郎さんのことを。そばにはホッピーアンドキンミヤ焼酎のグラスがあって、グラスの冷たさや表面の液体がゆれるときぜんぶ、ホッピーが聞いてくれてるような気持ちになった。
カンちゃんはそれからわたしの夫になった。
ホッピーマンと結婚したんだよって桐野に報告したら、思いっきり電話口でなにかをふきだした音がした。あんなに落ち込んでいたのに桐野は北で、ちゃんと顕在していた。
結婚記念日になると、カンちゃんは言う。
「ホッピーとキンミヤ焼酎あんどグラス、きんきんにお願いします」
若干丁寧な口調に変わるのは、洋二郎さんがいつもカンちゃんのお母さんにそう言っていたからだった。
また、夏がやってきた。
今日もベランダで、ゴーヤの葉っぱがらせんを描きながら揺れていた。