女将はそう言って、写真立てを撫でた。
「そんな……」続く言葉が出てこなかった。
「それ以来、私一人でなんとか続けてきたんだけど、最近はすっかり足腰も弱ってね。子供達も独立して継ぐ人もいないから、この春で店閉めることにしたの」
店内に沈黙が流れた。
「……私も会ってみたかったな、げんさんに」彼女がつぶやく。
「……そうやな」と、彼氏は残っていたホッピーを一息に飲み干した。
「ほら、アナゴ天冷めちゃうよ」
空気を変えるように、女将が明るい口調で言った。
「あの……見てもらいたいものが」
私はアジャスターケースを開け、中のものを取り出した。丸めて入れていた紙を広げて女将に向ける。それは一枚のポスターだった。
上部には 『 ほっと、ホッピー。 〜くつろぎのシーンにこの一杯〜 』のキャッチコピーがあり、酒場や家でホッピーを楽しむ人の、多くの写真がコラージュされている。
「これ、5年前に僕がディレクションして、関西でホッピーのキャンペーンやった時のものです。ホッピーのあるシーンを撮影して送ってもらって、それをポスターやチラシに掲載するっていう。キャンペーンは予想以上に盛り上がって、当時は大阪のどこの居酒屋に行ってもこのポスターが貼られていました」
「なんか……見た覚えが」と彼氏がポスターを見て言った。
「え、でも当時、まだ高校生ぐらいじゃ?」
「あ……まあ、それは」とあせる彼を、彼女が苦笑いで見ている。どうやら彼の方にも意外な顔が隠れているようだ。
じっとポスターを見ている女将に、私は抱えていた思いを打ち明けた。
「横浜のプレゼンで大失態を演じてから、自分は社内でさらに追い込まれていて、自暴自棄になって酒に逃げていました。そんな時、ある店でホッピーを見かけて、そしたら、げんさんと女将さんと飲んだホッピーのことが、あの、心の底からほっとできた時間が、ブワッと蘇ってきて、これだって思って、夢中になって企画書書き上げて上司に提案したんです。その勢いに押されたのか、企画が通ってキャンペーンが実現して……」
「最近、関西でもホッピー人気が出てきているって、もしかしてこれの影響?」
女将は私の方を向き、穏やかな笑みを浮かべた。
「いや、それはどうか……少しでも貢献できてたら嬉しいですけど」
「そこは自分の手柄にしてもええんちゃうかな」と彼女が合いの手を入れる。
「ただ、このキャンペーンがきっかけで、徐々に仕事の依頼が増えてきて……だから、今回独立できるのもホッピーの、いや、げんさんと女将さんのおかげだと」
「何言ってんのよ」と女将は顔の前で手を振った。
「今日はそのお礼にと思ってこちらに……でも……もっと早く来てれば、すみません」
頭を下げる私の肩に、女将はそっと手を置いた。