仕事が終わって寮に帰ると、冷蔵庫の扉を開けた。
冷蔵庫の中のホッピーたちは、ずっとそのままだ。
このホッピーは、杉本さんとの「最後の思い出」。それが消えてしまう気がして、冷蔵庫の外に出すことも飲むこともできない。
行き先を失ったホッピーたちは、このあと、いったいどうなるのか。俺にすらわからなかった。
『仲人、どうする?』
美奈子からメールが来た。仲人のことは、まだ相談をしていなかった。杉本さんに代わる人なんていない、いるわけがない。仲人を立てずに式を挙げるのも選択肢のひとつだな――そんなことを考えていたとき、玄関のチャイムが鳴った。
夜8時を過ぎている。こんな時間に誰だろう。
玄関扉のドアスコープをのぞくと、俺は「え?」と思わず声をあげる。杉本さんの顔が目に入ったからだ。いや、杉本さんのわけがない。
扉を開けると――杉本さんの息子の桂樹くんが立っていた。
桂樹くんは小さな声で「こんばんは」と言った。
「よく、ここがわかったな」
「住所は父に聞きました」
「どうしたんだ、急にウチに来て……」
「迷惑かと思いましたけど――実は、今日、ここに来たのは、僕が父と交わした約束を果たすためです」
約束? いったい、なんだろう。俺は桂樹くんを部屋に招いた。
床に散らかった本や雑誌を片付けて座布団を敷く。桂樹くんは律義に、その上に正座をした。俺が「楽にしろよ」と言っても、足をくずそうとはしない。生真面目な性格の彼らしい。
「千葉からここまで来るのは、大変だったんじゃないか?」
「いえ。実は僕、千葉の実家ではなく、ここから、歩いて20分ほどの場所にあるアパートに住んでいます」
杉本さんから聞いたことはなかった。初耳だった。
「君は今、大学生だろ? この近くの大学に通っているのか?」
「はい。阿見町にある茨城大学の農学部です」
桂樹くんは遠慮気味に言った。
阿見町は、俺が住む土浦市のすぐ隣にある町だ。そんな近くだったことに驚いたものの、彼がどこの大学に通おうがどこに住もうが、今は問題ではない。
「本題に入ろう。さっき君が話していた、約束とやらを俺に聞かせてくれないか」
「それは――浅井さんが通信販売で買ったという、ホッピーのことです」
ホッピー? 頭になかった展開に、思わず俺は首をひねる。
「もし病気が治って退院したら、浅井さんは、父と一緒にここでホッピーを飲む約束をしましたよね。ホッピーは冷蔵庫にまだ入っていますか?」
「入っているけど……」
処分できずに悩んでいることを、桂樹くんに話した。