「さあ、浅井。俺の病気の話はこれで終わりだ。病気のことなんか忘れて、今日はガンガン飲もうぜ」
俺は、左手で自分の涙を拭った。
杉本さんは「乾杯だ」と言って、ジョッキを手で持ち上げる。こんな状況では乾杯をする気持ちになれない。だけど、逆らえなかった。自分のジョッキを持ち上げて、杉本さんのそれと合わせた。
笑い声もなく、静かな乾杯だった。
入院を控えた杉本さんだ。アルコールを口にしてはいけない状態だと思う。今日は無理して俺に付き合ってくれているに違いない。
彼の丸まった背中が、ガンという病気に対する大きな不安を表しているように見えた。
杉本さんの手術が成功したとの連絡を職場で受けたのは、澤田で飲んだ二週間後のことだった。
その朗報を聞いた瞬間、俺は手をたたいて喜んだ。すぐに会ってお祝いをしてあげたかったが、手術が終わった直後の面会は無理だろう。
しばらくして、俺の元に杉本さんから直接、メールが来た。
『何もすることがなくて暇だから、病室に遊びに来いよ。見舞い品は、なにもいらないからな』
見舞い品か。そうだ、あれにしよう。杉本さんを勇気づけるにはもってこいだ。俺は「あるもの」を通信販売で買った。
9月下旬の、秋晴れとなった土曜日の午後。俺は千葉市内にある県立がんセンターに向かった。
5階の呼吸器外科病棟にある杉本さんの病室は、ふたり用らしいが、表札には杉本さんの名前だけが書いてあった。
背負っていたリュックを背中から降ろし、病室に入る。
緊張気味にベッドの前へ歩いていくと、杉本さんは、白いリクライニングベッドの背中部分を少し上げて、仰向けに寝ていた。
「おお、浅井。やっと来てくれたな」
杉本さんは笑顔で迎えてくれた。あいかわらず痩せてはいるものの、今日は顔色がいい。俺は胸をなでおろした。
「わざわざ茨城から、すまねえな」
「どうですか、体の具合は」
「まあ、一進一退というところだ」
ベッドの横に、背が高く細身の若い男性が立っていた。
「浅井は、俺の息子と会うのは今日が初めてだな」
俺が頷くと、杉本さんが彼を指でさして「こいつは俺の一人息子の桂樹(かつき)。今、大学2年生だ」と紹介してくれた。
俺が会釈すると、桂樹くんは爽やかな笑顔をこちらに向けた。
「はじめまして。浅井さんのことは、いつも父から聞いています」
そう言って深々とお辞儀をした。丁寧なあいさつに思わず恐縮する。両サイドにツーブロックを入れたショートヘアが似合う、真面目で賢そうな好青年だ。どこかの国立大学に通っていると杉本さんが以前、話していた。さすが親子というくらい顔は似ているが、ちょいワルおやじの杉本さんとはタイプがまったく違うように見える。
「浅井さんは、父に勧められて、ホッピーを飲み始めたそうですね」
桂樹くんがホッピーの話題を振ってきた。俺が「うん」と返事をする。