玄関チャイムを鳴らすが出てくる気配がない。定年退職後の伊藤さんは昼寝をすることが多い。出直すことにした。
廊下で隣の住人とばったり会った。伊藤さんが留守だと知る。3日前から兄の法事で故郷へ帰っているという。
昨日のドローンは伊藤さんではなかったのだ。少しだけ安堵するが心配が消えたわけではない。もう一度屋上に行ってみるしかない。今夜もドローンが来れば、自分は間違いなく見張られている。もし来なければ、たまたま飛ばしたドローンに映っただけなのかもしれない。
夜の屋上は爽快だった。花火がなくても黒闇の中で一人風を受けていると、体の中まで浄化されていくようだ。マンションは住宅街にあるため周辺の明かりは外灯ぐらいだ。夜は静かで闇が広がっている。夜の夜景は遠くに見える駅前の繁華街が役割を果たしていた。
30分ほど待ったがドローンはやってきそうもない。酒を持ってくればよかった。夜風に当たりながら、天近くで飲んだ酒の味は忘れられない。再び細心の注意を払いながら1階まで戻ることにした。
ジョッキにめいっぱいの氷を入れ、5合の焼酎瓶とホッピーを2本、小さな段ボールに入れた。8階建てのマンションだったがエレベーターは使えない。夜遅くても住人と出くわす可能性が高かったからだ。
外階段を上って行く。途中3階の踊り場でジョッキの中の氷が落ちた。夜の鉄筋の建物は小さな音でもよく響く。カンカンカンと硬質な音を立てて下へと落ちていった。住人が出て来ないことを祈りながら屋上へと向かう。
やれやれ、やっと飲める。と焼酎をジョッキの中へ注ぐ。ホッピーで割ろうと手に取る。栓抜きを忘れたことに気づいた。シマッタ! もう一度戻るのは危険で、その気力もなかった。
ブーンと音が聞こえた。ヤツめ、やっぱりきたか。身構えるがドローンは見えない。気のせいか。
栓抜きを忘れたためホッピーで割ることができず、溶けた氷で少し薄まった焼酎を喉に流し込んだ。やはり濃い。いつもの味が恋しかった。カランカランとコップの中の氷を溶かしながら少しずつ喉に流し込む。
ブーンとドローンの音がする。やっぱりいた! 近くにいて様子をうかがっていたに違いない。前方の暗闇でピカピカと小さな光を発した。姿を現しやがったなドローンめ!
「どうして俺を見張ってる!」
ドローンに向かって叫んだ。管理会社の回し者なのか、からかっているだけなのか、今夜はどうしても相手を確かめたかった。
「夜の散歩だ」とドローンが答えた。
急に笠原めがけて飛んで来た。思わず頭を抱えて蹲った。目をつぶってじっとしているとドローンの笑い声がする。眼を開けると隣にいた。
「栓抜き忘れたのか、馬鹿め!」
俺は完全におちょくられていた。
あれから屋上へは行っていない。管理会社から注意を受けることもなかった。またいつもの日常が繰り返されている。
巡回の途中だった。水口さんがひどく慌てた様子で歩いていた。声を掛けると中学校に息子を迎えに行くのだと言った。顔色がひどく悪い。夏風邪をひき熱があるという。ふらつきながら歩く姿に思わず声を掛けた。
「代わりに、行きますよ!」