もともとあるものがないことと、もともとなかったものがあるって状態に置かれてから、それを失くすことは、あるものを失くしたことよりも、ないがあるになってさらに失くしてしまうことの方がかなしみの分量は大いに違いないと、太郎と知り合ってからそんなことをつらつら考えるようになった。
太郎の家は海側とは反対に位置しているらしく、幾分潮の香りが薄れた風が吹いている。どちらかというと緑の匂いがしている。
すこし肌がひんやりと樹々の呼吸に触れているような冷たさを風が孕んでいた。ポプラ並木を歩いてゆく。渡されたほんとにアバウトなフリーハンドの地図を持って。男の人は地図を読んだり書いたりするのが得意な脳を持っているって昔流行ったけれど、太郎は例外のようだった。こんな大雑把な地図らしきもので太郎の家に迷わずに辿り着けたら、根拠のないじぶんの勘に自信を持ってしまうくらいの代物だった。
その地図によると道がY路なのか、並行なのかさえあやふやなのにところどころに<犬に注意! 吠えだしたらやまへん>とか<おばあさんが日がな一日手作りベンチに座ってて、ぼんやり外を眺めてる茶色い家>や<トトロの森っぽい樹の公園>とかが書いてあったので、そっちのキャプションのような説明文をたよりにしていたら、まぐれで着いてしまった。
辿り着けたのは、ふしぎなぐらいだった。
太郎の家は、ちいさなふるい一軒家だった。
屋根は緑で壁は黄色。自分たちで作りましたってオーラを放っていて、いかにも太郎らしかった。
やっとみつけた入り口のピンポンを鳴らそうとしたら、ようわかったなあんな地図でって、太郎が笑ってドアを開けた。
自覚はあったんだなって思うと、おかしくなった。
太郎がキッチンに立つ。水場の窓のところにかかってるカフェカーテンのチューリップのレースをぼんやり見てた。レースから洩れる日差しが太郎の手元にあたっていた。
「それ、かわいいね。太郎の趣味?」
うん? って振り返りどれ? って聞く。
「あの、カフェカーテン」
わたしが指さすほうをみたけれど、太郎は「そんなこじゃれたもんこの家にはないで。カフェなに?」って真顔で訊ねるから、窓辺のちっちゃなカーテンってもういちど指さした。
「あぁ、これかい。おかんが、勝手に吊り下げて帰っていきよってん。ほんま罰ゲームか、思ったわ。おせっかいやろう。デザイン選べっちゅうねん」
ハルヲはお母さんのことをおかんと呼ぶ。関西人からよく聞くけれど、おかんって呼べる人は、みんなお母さんのことが好きな人ばかりのような気がする。
「手伝おうか」
「ええよ、座っとき。はるばる滅茶苦茶な地図たどって来てくれたんやから。それになんとなく、栞ちゃん料理苦手そうやもん」
黙ってるわたしの顔を見て「図星かいな? 怒った?」って弱気に聞いてくる。
「べつに、ほんまのことやしねえ」
「栞ちゃん、俺と付き合うようになって大阪弁の腕あげよったな。いま何級やったっけ?」
「たぶん、4級」