太郎は何か言いたそうな眼差しをする。いいかけて止めた言葉。そうやって言葉になりそうな声をそこらへんにほっぽらかすみたいに止めてしまうのは、太郎の癖だった。太郎の親指を握って歩く
これも思えばハルヲさんとの思い出だったことに気づいて、いつか止めようって思った。
海岸に続く階段のてっぺんに座る。波は穏やかでサーファー達は陽に灼けたひょろ長い棒のようになりながら、海の表面を縫ってゆく。
コンビニの袋がしゃりしゃり音を立てて、少し熱を持っているのがわかった。
ぎら、じりってあっちからも音が聞こえそうな太陽。
それでもあの日以来、とらうまのように空をまだ見上げることには慣れていない。
「顔をあげてごらん」
すぐそばで、誰かお父さんらしい人の声がした。海岸で遊ぶ子供連れの親が水に慣れさせるために海面のすぐ下に顔をつけさせているのが見えた。
我慢して頬を膨らませながら、水の中からゆっくりと顔をあげる男の子。
髪の先から雫が滴って、顔はびしょびしょに濡れていた。
よくみると小学1年生ぐらいの彼は、眼を赤く腫らして泣いていた。
我慢していたのだ。どんどんゆがんでゆく子供の表情を見て、父親らしき若いお父さんは高らかに笑った。
「どした? こわいの?」
子供の指が父親のバミューダパンツの裾をつかんでる。
顔を濡らす水が海なのか涙なのかわからないまま、彼は頬をぬぐった。
「大丈夫だよ。パパはここにいるから。ほらママだってあそこにいるでしょ。ねっ」
「どこどこ? ママはどこにいるの?」
「砂浜のパラソルの下。青い水着の。わかった? トモオは泣かないよ。はいもいっぺん、顔つけて」
パパはここにいるよ。ママもあそこにいるよ。ほら顔をあげてごらん。もう一度違う声が海辺のざわめきを縫うようにまっすぐ届いてきた感じがして、わたしはその声に促される。
顎をあげて、空を仰いだ。
<こわくないよ、ほらイメージするんだよ>
よくハルヲさんが言っていた。
<パパもママもここにいるんだってことを栞の頭のなかでちゃんとイメージするんだ。想像を飛ばすんだ。紙飛行機みたいに>
ハルヲさんのイメトレだった。
<簡単なことだよ。空をみなさい。昼間の空をちゃんと見る。雲をみてごらん。止まってるようにみえても、刻々と姿を変えてゆくだろう。もとの姿なんて、あとかたもないよ。変わってゆくんだから、少しずつ慣れていけばいいよ>
そういってハルヲさんはわたしの頭を引き寄せるようにくしゃくしゃに撫でた。ハルヲさんは母の弟だった。空の向こうで両親を失ったわたしは祖母が死んでからの保護者代わりはハルヲさんだった。新しい生活に戸惑っていると、いつも海に連れてきてくれてそう言った。
あることとないこと。