男を睨みつけると、彼もピーコを見た。そして、不気味な笑みを浮かべた。
男は30代半ば、スーツは明らかに高級品、お金には困っていないだろう。顔は、中の上といったところか……しかし、誰かに似ている。テレビに出ている……何かのお兄さんだ。歌のお兄さんか、体操のお兄さんか……ピーコは暫く考えたが、思い出せず舌打ちをした。
男はピーコから目をそらさず、グラスを口につけた。白ワインのホッピー割という、お洒落な飲み方だ。
しかし、財力に富み、洒落た飲み方をする男が、窃盗を働くだろうか。だが、男の不気味な笑みは、俺が盗った証拠でもあるのかい? と言っているようにも感じられる。確かに証拠はない。ピーコは瓶に触っていないから、指紋鑑定をしても無駄だ。諦めるしかないのか……
待て!? 容疑者はもう一人いる!
今度は上半身を左に捻り、調理場の男を睨みつけた。熊店長だ。
ホッピーは、彼が持って来た。そしてピーコがトイレに入った後、悦司が電話に集中しているのをいい事に、そのまま持ち帰ったのだ。
店員は彼以外にもいる。何故か「梅酒」と書かれた名札をした、若い女だ(まさか本名ではないだろう)。しかし、店長が持って来たホッピーを、その後すぐに彼女が引き上げるという行為は明らかに不自然だ。他の客も怪しむだろうし、店長に見つかると頸だ。勿論、店ぐるみの犯行ならその限りではないが……つまり、実行犯にせよ教唆犯にせよ、犯人は熊店長だ。ピーコを見て怯えている彼の様子から見ても間違いない。
いや、違う! トイレから戻って来た時、1本目の空瓶もなくなっていたのだ。新品のホッピーと同時に、空瓶を盗む理由がわからない。完全犯罪を目論む類の人間は余計な事をしない。ということは、空瓶も盗む必要があった人物……誰だ……。
高級スーツ男か……
熊店長か……
目の前に座っている悦司か……
「うわぁっ!」ピーコは驚いた。いつの間にか、悦司が戻って来ていたのだ。悦司は、顔にびっしょりと汗をかいていた。彼は女性の方から誘って貰おうとしたことを反省し、自分から告白するという一大決心をしたのだ。大量の汗をかくのも無理はない。
ピーコは一生懸命な彼に対しても可愛いと感じた。彼を見ていると無意識に顔の筋肉が緩み、だらしない笑顔がこぼれてしまう。彼女は自分の胸の中にある灰色の靄が、スーッと消えていくのを感じた。
もう、犯人が誰かなんてどうでもいい。被害額はたったの300円だ。ここがそんな阿漕な稼ぎ方をする店なのであれば、二度と来なければいいだけの話だ。うん、飲みなおそう。
「ソト1本お願いします!」