「せっかく建てたマイホームも無くなっちゃって、貯金も底をついて……何より辛いのは妻と娘からも見放されたことです」
「それで、こっちへやって来たという訳ですか」
「逃げて来た、というのが正しいですが」
長さんは、財布から一枚の写真を取り出した。少し色褪せた写真には、赤いドレスを着た綺麗な女性の姿があった。
「これ、娘の結婚式の写真です。小さな頃から赤が好きな子でね」
「綺麗ですね」
「今日が誕生日なんです」
それが、長さんが今日を選んだ理由だった。
「変わった子でね。いくつになっても私と一緒に出掛けてくれて。大人になると、よく飲みにも行きました。私に似てホッピーが好きでね」
長さんの目尻に深いシワが浮かび上がる。それは思い出を懐かしみ、そして寂しげな表情だった。
「すみませーん!ホッピー二つ!」
私はジョッキに残ったホッピーを勢いよく飲み干し、少し強めにテーブルに置いた。
「今日はめでたい日です!飲みましょう!」
私が笑うと、それにつられた長さんに笑顔が戻った。
「未来さんの名前の由来はなんですか?」
「明るい未来に向かって生きてほしいということ、そして、誰かの未来に希望を与えられるような人間になってもらいたい。その思いを込めてね」
「同じです、私の父もそう願って付けたって、母から聞かされました」
いつの間にか、私の頬には涙が流れていた。
「未来さんは、きっと、いつかきっと長さんに会いたいと思っているはずですよ」
「そんなことないですよ」
「私は父に会いたくても会えません。だから、必ず未来さんに会える日を」
「ありがとうございます」
長さんは潤んだ目をジョッキで隠すように、ホッピーを飲んだ。
窓の外に見える木々の葉が、少し色づき始めている。私は買ったばかりの赤いカーディガンに腕を通した。
鏡の前に立ってみる。
実は意外と赤が似合うんだな、なんて自惚れたりして。
「長さん、おはようございます」
「おはようございます。あら、その赤いカーディガン、素敵ですね」
「ありがとうございます。長さんも思い切って赤い服着てみます?」
「ダメダメ、いい歳して」
長さんは笑った。
人生において、誰かとの出会いはごく僅かな確率だ。その奇跡のような確率で、私は長さんという人と出会った。私には、長さんが未来に向かって生きていける手助けができているだろうか。私は父が付けた名前に負けない大人になっているだろうか。
いつか、長さんが未来さんと会える日を私は夢見ているのだった。