長さんは二ヶ月ほど前にボストンバッグ一つを持ってやって来たそうだ。詳しい事情は語らず、ただ「部屋を貸してほしい」と。
それから、若月荘で社会との関わりを絶って暮らしてきた。つまり『社会的孤立』というやつ。まだ、酒でも飲んで暴れてくれる方がマシで、長さんの場合は生きているのか死んでいるのか安否が分からないくらい、完全にひきこもっていた。若月荘には、日中は一階の帳場に管理人が常駐している。長さんの部屋は帳場に隣接していて、それまでは管理人の坂下さんが缶ジュースやお菓子を差し入れしながら、安否確認を行っていた。
「差し入れを持って行ったら手は挙げてくれるけど、声もロクに出さんから分からんのよ、元気かどうか。とにかく、生きてることだけ確認してる感じやな」
そんな状況を心配した坂下さんから介護の依頼があったというわけだ。坂下さんはベテランの管理人で、この状況がいずれ良からぬ事態を招くことを想定していたのだ。
「田中さん、前に言うてたヘルパーさん来てくれたから。入ってもらうよ!」
初めての訪問。坂下さんが玄関から声をかけるが返事は無く、ただ、寝返りをうったことだけ分かった。
「ほな、あとは頼みますわ」と言い残し、坂下さんは帳場へと戻る。
室内はゴミが溢れているだけではなく、異臭が漂っていた。何から手を付ければ良いか困惑したが、先ずは信頼関係を築くことが必要だった。
良くも悪くも、こうゆうケースには慣れている。家主や管理人から依頼を受けることは少なくないのだ。荒れ果てた生活を「なんとかしてやってくれ」と。つまり、当の本人にとって、私は望まざる客なのだ。
長さんは「帰れ」と怒鳴ったり、罵声を浴びせることはなかったが、ただ背を向けたまま無言の状態が続いた。やっと声を発したかと思えば「大丈夫だから」や「気にしなくていいよ」というような感じで、穏やかではあるが拒否は強い。だけど、いつも素っ気ない長さんが優しい人だということは分かった。私が帰る時には、決まって「すまないね」という一言をかけてくれる。
短い返事ばかりの長さんだったが、そのイントネーションから関東地方の出身だということも推測できた。この地域に住む単身高齢者は、西日本中心、特に九州の出身者が多く、関東地方の出身者と出会うことはあまりない。私は東京出身なので、関東地方出身の人と出会うといつも嬉しさを感じる。
「田中さんは、もしかして関東のご出身ですか。私、東京出身なんです。この辺では、あまり関東の方と会うことがないので。もしそうなら嬉しいなと思って」
「……東京。浅草」
暫しの沈黙の後、たったそれだけの言葉だったが、私は嬉しかった。関東地方出身の人に会えたことよりも、長さんが僅かでも心を開いてくれたことが嬉しかったのだ。それは、六度目の訪問にして漸くのことだった。
私は「同じですね」とだけ返し、それからは、あえて東京の話題には触れないようにした。もしかすると、東京に嫌な思い出があるのかもしれない、帰りたいけれど帰れない理由があるのかもしれない。これまでにそんな人たちと多く出会ってきた。
ただ、私は長年の関西暮らしで妙な関西弁になった言葉を意識的に正すようにした。押し付けるのではなく、ゆるく懐かしさを感じてもらいたかったのだ。