乾いた土の上を水がしみわたってるだけなのに、花は喉が渇いているらしい。
こんなふうに擬人化して花を思うじぶんにすこし戸惑う。
様々な仕事を転々とした後、植木職人に落ち着いた甚さんと暮らしているうちに、ゆるやかな速度で花のことが好きになっていった。
ちいさな庭のぜんぶが見渡せる窓に視線を向けながら、甚さんと食事するのが日課になっていて、花の表情を見ない日はなかった。
薔薇やオーストリアンセージや葉のぶぶんだけが残されたクリナムなど、つぼみや匂いのことや花特有の病気について、甚さんはだれかのことのように話してくれた。
「あのさ、植物ってどこにもいけないだろう。それって切ないかな?」
甚さんはいつもわたしへの問いかけなのか、自問自答なのかわからないところがあった。しばらくしてから問いかけなのかと思ってわたしが口を開く。
「どこかに行きたいの? 甚さん」
ってわたしがさいごまで言い終わらないうちに「そういうこと言ってるんじゃない」ってちょっと声を荒げた。
ほんのすこしだけどよんとした空気が流れたけれど、甚さんは「そういうこと言ってるのか? 俺」って笑った。甚さんとわたしは20歳の年の差があった。
喧嘩になりそうなときは、いつも甚さんが折れた。
「お前より老い先短い俺が、喧嘩なんかしてる場合じゃないだろう」結婚するときに言われた。わたしの親に反対されてのことだったからあの頃はいろいろあって、喧嘩しそうな感じがいつもみなぎっていた。
職業柄、甚さんはわたしの庭の手入れの仕方にもよく口をだした。
ハサミの使い方や、薔薇の枝を手入れするときの葉の残し方など。
ある時、少し重たい如雨露を傾けながら、ぽつりと話かけてくれた<背負い水>の話を思い出した。
「ひとは生まれたときに、背中にね、一生の飲み水を背負って生まれてくるんだって。たぶん芙蓉の水はまだたっぷりあるね」
って高らかに笑ったけど、そんなふうに言うから甚さんの背負い水はあとどれぐらいあるんだろうって、一瞬表情が曇った。
そんな不安に気づいたのか甚さんはわたしの眉間に指をあてて、「そういう顔しないの。背負い水はね、増やせばいいのよ」って如雨露を置くと、足早にリビングに上がった。
勢いよく手を洗う音が洗面所からしてきたと思ったら、冷蔵庫へ一直線。冷やしてあったグラスふたつと、キンミヤ焼酎とホッピーを運んできた。
「これが俺のいのちの水だね」
うれしいことがあると、甚さんはホッピーを呑んだ。
かなしいことがあっても。いやなことがあっても、一日の終わりにはこれだった。至上のよろこびって顔して味わっていた甚さんの瞳を思い出す。
その日からしばらくして、甚さんはいなくなった。
「背は低い片ですか? 高いですか?」
「歩き方は速いほうですか遅いですか?」