どこの街でもそうなのかわからないけれど、わたしの住む<凪街>では行方不明になってしまったお年寄りの情報を街のスピーカーでお知らせをする。
見知らぬ年老いた人がどこかでみつかるといいなと思いながら、また歩き始める。
海の匂いをひきつれた潮の香り。
その風の中にはたくさんのいろいろな知らない人の記憶や思い出がつまっているような気がして、おもいきり深呼吸していいのかどうなのか迷ってしまう。
ふとじぶんと見つからないおじいさんと、どこが違うんだろうという気になって。
どこかに辿り着くまではたぶん、さしてそのプロセスは、年老いた人と変わらないかもしれないなって思ってしまった。
甚さんがいなくなってから時々、なんとなく逃げたくなる願望がからだのどこかに巣食っていることに気づいていた。
こういうアナウンスを部屋のどこかで耳にすると甚さんは、窓に耳を押し付けるように聞いていた。風とハウリングして聞きづらいのか、じっと耳を傾ける。
「おじいさん、きのうの。見つかったらしいよ」、「おばあさん、雨の日に出かけちゃったんだ」とか、とにかくその行方をいつも気にしているのが甚さんだった。
散歩から帰ると、カーテンがそよぐ隙間からアナウンスが聞こえてきた。昨日いなくなったおじいさんがみつかったらしい。<みなさん、ご協力ありがとうございました>と結ばれていたその係の人の声はなんども風の中で重なりあいながら、漂っていた。今日のおじいさんのすこしだけ失くした夏の時間がおじいさんの中で、すくすくと育っていつか、たわわに実るといいなと思いつつ。
おおきな身体とやさしいこころと天才的な頭脳を持った刑事を演じていているアメリカ俳優が出演するドラマを甚さんと見ていた1年前。
<夏の終わりには暖流がカリブ海の外来種を運んでくる。チョウチョウウオやエンゼルフィッシュや・・・>そんな台詞だった。
「なんだか運ばれてくるもの漂うものに対して、反応してしまっていつまでも頭の隅から離れないんだ」って甚さんが呟いた。
それを聞いたのは冬だったから、これが夏の海だったらってまだ来ない季節をすこしだけ追いかけたくなっていた。過去と違って、その季節は、まだあらわれていないので、どこも褪せていなくて、すこしまっさらな色をしているような気がしていた。そんな思いがどうして過ったのかわからない。いまとなっては、そんなことを思ったことが、甚さんのその後のなにかを運命づけてしまったみたいで、おもったことすらもなかったことにしたくなっていた。
夕方近く、花の水やりをした。甚さんが好きだったふかみどりの如雨露の出がわるく感じて、細い棒でなかをつついてみたら正体はないのに、なんの仕業かわからないけれど、じょろじょろと潔く、水が口からあふれ出るようになった。
鉢植えの花も気持ちよさそうにごくごくと飲む。