暦の上では、夏はとっくに終わっている気がしていたのに、まだそこにいて
風だけがその次の季節をはらんでるように吹いている。
夏の午後の潮騒。
くたびれた誰かのサンダル。
誰かが歩いたあとの砂のくぼみ。
そこをたどって歩いてゆくと、醤油の焦げた匂いがあたりに散らばって。
夏が来るたびに同じ景色に出逢っている訳ではないのに、デジャ・ヴュのようなかつて馴染んでいた夏がそこにあるような錯覚に包まれる。
ビーチパラソルのそばの影の形に見入っていたら海のまんなかあたりから、陽に灼けたおおきな男の人が、こどもの名前を呼んでる声がする。
いつまでもいつまでもおとうさんらしきひとは彼の名を呼んでいる。
ヴィンセント。
ヴィンセント。
返事はないから、きっと彼は太陽の日差しをたっぷり浴びながらなにかに夢中になっているところなんだろう。
ひとが誰かの名前を呼ぶ声は、いつ耳にしても胸のなかがしーんとしてしまう。あの日、わたしが呼んだ声を甚さんはきいてくれていただろうか。
海辺の喫茶店<風音>に立ち寄る。
マスターの海さんが、「よっ、芙蓉ちゃんひさしぶりっ」って声をかけてくれる。
「忙しかった?」ってピアノを弾いてるみたいな仕草で聞いてくる。
「だったらいいんだけど」ってわたしは笑う。
広告のリライトをしたり、地域の新聞のインタビューをまとめたりといった仕事のことをいつも海さんは、長い指を動かしてジェスチャーしてくれるのだ。
彼は70歳を前にしても、とても溌剌としていて声がちゃんとお腹の底から出てる感じがする。夫だった甚さんとは呑んだり、将棋したりの仲だった。
わたしはブルーベリーチーズケーキと珈琲が来るまで、置いてあったふるい雑誌のページをめくっていた。
アンティークショップのオーナーをしている男の人の言葉が紹介されていた。
彼は<涙組>という変わった肩書を持っているらしく、聞いているだけで胸がしめつけられるような音楽を楽しむ会を催しているみたいだった。なぜかわたしはそのページから目が離せなくなっていた。ビージーズやサッチモ、ローリングストーンズの曲がディスクと共に紹介されたいた。それはまるで甚さんの好きなアーティストばかりで、胸がざわついた。