「そういう問題じゃなくて」って僕の声に被るように閉店のお知らせメロディが鳴る。
「あ、これほたるの光?」
ジョウさんが指で天井を差している。
「苦手なんだよね、これ。ちょっと急ごう」
僕とジョウさんは足早に階段を駆け抜けて、すっかり暗くなった地上へと這い出た。
ジョウさんの店は僕のバイト先のデパ地下から歩いて5分程のところにあった。こんなに近くにあったのに、知らなかった。この辺りは駅前でも美容院の激戦区でいままでもいくつもの店が次々に潰れては街の顔を変えていった。
その点、ジョウさんの店は大きなフランチャイズらしく今のところ健在で、それなりにお客さんもついているらしかった。
空になった美容院はひっそりとしていて、鏡の間のようにどこか落ち着かなかった。
「好きなところ座ってよ。それとさ珍しくはないんだけど」って言いながらジョウさんがトレーに運んできてくれたのは、親父の好きなホッピーの三点セットだった。冷えたグラスに冷えたホッピーにキンミヤの壜。
「え? ジョウさん職場にも用意してるのそれ?」
「んなわけないでしょうが。これは翔ちゃんがちょうどハタチになったかなってこの間気づいてさ、それで用意してあったの。知ってる? お酒は」
そのあとを僕が引き継ぐ。「二十歳になってからでしょ。耳タコだったよ」
「で、どうよ。ハタチになってホッピー解禁もうしちゃった?」
「なんとなく、ずるずるとタイミングのがしてた」
「のんびりしてくれて助かった」って言いながらジョウさん嬉しそうにはしゃいだ。ホッピーを手にしようとしたとき、「その席、好きなんだね。はじめて源ちゃんが来た時もそこだった。親子だねぇ。いっぱい座る場所があるのにさ、そこがいいなんて。みんな端っこ選ぶんだよ無意識に。なんか守られたいみたいで。でも源ちゃんと翔ちゃんはそこなんだ。おもしろいね」
ホッピーがそのままになっているのに気づいて、ほら飲んで飲んでって促された。はじめてのホッピー。おいしいよって言ったけど、あんなに子供の頃から待ち望んでいたのにジョウさんの話のあとのせいか戸惑っていた。
鏡の前に座ってたらジョウさんは僕の後ろに立って、翔ちゃん髪切ってあげようか? とぽつっと言った。
「二十歳のお祝いシリーズってことでさ」
商店街のネオンの映りこむ鏡に向かってしゃべるジョウさんは、なんだか夢のなかの人のように思えてきて、ずっと喋り続けてたら消えちゃうんじゃないかと思って怖くなってじっと黙っていたら大丈夫ただでやってあげるからって笑う。
「タダならやんないよ、ちゃんと金払うって」って言ってもジョウさんは聞かなかった。耳の側で聞こえるハサミの音は、通りのクラクションの合間を縫うように、響いていた。ジョウさんは少しだけなんとなく寂しそうで、親父がどろどろのニッカポッカを履いたままあわてて閉店間際に駆け込んだときの話を懐かしそうにしていた。
ぽつりとジョウさんは言葉を零す。「ねぇ翔ちゃん夏って好き?」ってふいに聞いてきた。答えようと思っていたらジョウさんは、「翔ちゃんに怒られるかもしけれど、源ちゃんとはね、ふたりにそういう季節が来たみたいな感じだったんだろうなって」
「季節?」