「翔ちゃんったら、みんなに言われたことを守ってんのね」
満足そうにそれ以上何も言わない。親父が「シュリコロの海老まるごとたっぷりじゃない。たまらない」っておどけた。
昔よく僕が、こっそりテーブルの上のホッピーをみんなの眼を盗んだつもりで手にすると「おさけは」「はたちになってから」ってこれまたはもるのだ。
そう言われて育ったので、なんとなく守りぬき、あとひと月で二十歳を迎えようとしている。ずっと大工の仕事をして支えてくれている親父の顔は日に日に赤銅色になっている。笑った時の目じりの皺が増えたなって思う。俯きながら喰ってた親父が、僕の眼を見ずに言う。
「なぁに? パパが食べてる姿そんなに珍しいの? ゲイだってコロッケぐらい食べるわよ。やぁねさっきから、翔ちゃんいい? 食べてる人のことじっと観察することほど品のないことはないんだから。いまのうちにやめなさいよ、その癖」
母親かよってつっこみながらも、自虐的になってる親父を思う。自分の口からゲイだなんて言ってほしくなかった。急になまなましく今までおぼろげだった輪郭が昼の光の中で露になったみたいで狼狽えた。
親父の小言を聞きながら、聞いてるような聞いていないようなふりをして、腰を左右にひねる。鈍い関節の音がする。掌を天井に向けてまっすぐストレッチしてついでに首もひねった。音階があるのかとおもうぐらいにぼきぼきと、肩や首が鳴った。
バイト先の<デリカ>はちょうど閉店間際で、たいていの品物は売り切れてしまっていて、いつもなぜか売れ残る<ゴーヤサラダ>と<山芋ともずくのフレンチドレッシング和え>が、ガラスケースの中でぽつんとしていた。空になったケースの内側をアルコール除菌していた。フキンで拭いている時、僕の背中のあたりに「すみませんっ」と嗄れた声が聞こえた。デパ地下の<魚千>の勇ましいマグロ解体の口上がぎりぎりまでスピーカーを通して漫談のように、響いている中でもその声は低く、僕の背中に届いた。
振り返ると、ジョウさんだった。あまりに突然だったのでびっくりする。
想念はインターネットより速いんだぜっていうジョウさんが、昔僕に言ってくれた言葉が頭の中でリフレインしていた。
「ちわーす、翔ちゃん。腹ペコなんだけどおかずこんだけしかないの?」
「え? ちわーす、じゃないよ。ジョウさん。昨日まで逢ってたみたいに挨拶しないでよ。3年ぶりなんだよ」
こっちの話は思いっきりスルーしたふりでショーケースの前で躊躇っていたジョウさんはジーンズのお尻のポケットから財布を出した。
まじまじとみてしまう。本物のジョウさん?
「この2つ買っちゃう」
バイトの同僚木村さんは、すぐにレジを打ってくれた。黒木チーフもちらっとジョウさんを見る。黒木チーフがもう荒木君、あがっていいよお疲れと、珍しく言ってくれたおかげでジョウさんと帰ることができた。
関係者オンリーの階段を使って、地階から2階までの出口へと進んだ。
「びっくりだよ。どうしたの?」
「翔ちゃんの顔みたくなったんだよ。まだデリカでバイトしてくれててよかった」