海老茶色に変色した赤い印を右手の人差し指で指し続けたまま。
そんなことがあってから二年足らず、おやじも母さんのもとに逝ってしまった。
もともと、仕事のことしか頭にないような、昔ながらの仕事人間だったおやじだったけれど、母さんが亡くなってからは、ますます仕事に根(こん)を詰めていたような気がする。
定年も過ぎて、再雇用に入ってるんだから、もうちょっと休んで、楽すれば。と、何度も言ったが、ああ、そうだな。と曖昧な空返事をするばかりだった。
そんな無理がたたったのか、あまりにも突然だった。会社で倒れて、そのまま静かに逝ってしまった。
あの夜、酔ったおやじが話してくれた母さんとの話も、頭の片隅に残っていて少し気にはなっていたのだが、あれ以来、おやじがその話をすることはなかった。俺も、その後何も聞こうとはしなかった。
おやじの残したものを整理していて、いつか見たお菓子の缶が出てきたときには胸が詰まる思いだった。
缶の中には、やはりあの地図が大切に収められていて、破れかけていた折り目は丁寧にセロハンテープで補強されていた。
おやじの話してくれたあの場所に、必ず行こう。
そう決意したのはその時だった。
それから、その場所を詳しく調べ直して、今、すぐそばまで来ている。
もう少しだ。
――そう思って、男は視線を真っ直ぐ前に向けた。
ごろごろした小石が転がり、ところどころで大きめの石が地中から角(かど)を覗かせている、そんな山道(さんどう)のごつごつした感触を足の裏で感じながら、男は目的地へ向かって進んだ。
しばらく行くと、山道はY字に分かれ、少しまた登る感じで左に続いている道は、先を覗くと更に道幅が狭くなっているように見えた。山道の脇からはみ出した雑草も今までよりも長く被さっているみたいだ。おそらく、そちらの道はあまり人が通らないのだろう。
Y字の分かれ目のところに立つ小さな案内板は若干傾いてはいたが、右へ下る道を指していて、顔を近づけて見ると滝の名前が書かれているのが読み取れた。山道はその先に続いている。
わずかに、沢の流れる音が風にのって、どこからか聞こえてくる。
まずは目的地だ。その後で、名所になっているという滝にも行ってみよう。
そんなことを考えながら、男は、滝に続く道を進んでいった。