そう言って、俺も湯飲みの酒を飲み込んだ。自分も少し酔ってきたみたいだ。
「それほどの山じゃなかったからな。それに、こんな感じの急な雨だから、翌朝には小降りになっているか、上がっていることが想像できたしな。悪天候が続くような時期でもなかったし、天気予報でも問題はなさそうだったから、その辺は安心してたかもな。
でも、ランタンの灯を消すと明かりがまったくなくなって、ほんとに真っ暗だし、小屋の外の物音や、雨・風の音が響いていて、精神的にはけっこう恐いものがあったけどな……母さんの方は特にだよ……かわいそうなことをしたと思ったよ、ほんとうに、あのときは。
実際に、何回も謝ったよ。だけど、その度に、『あなたのせいじゃないでしょ』って、反対に慰められてしまって……」
おやじの、また気恥ずかしそうな表情。
「それでも、シュラフに入って、くっついていたら、いつの間にか眠っていたな」
「シュラフ?」
聞き慣れない言葉に聞き返した。
「寝袋さ。隣にぴったり寝袋並べて入ったんだ。あの状況だったからな。二つの寝袋くっつけて首まで入っていたら、一つの布団にいっしょに入っているような感じになるだろう?
寝袋に入るのも初めてだった母さんがな、始めのうち面白がって、寝袋越しに、隣の寝袋に入っている俺の手を掴もうとしてくるんだ。もぞもぞ動いて、わざとこっちに転がってくるようなこともしてみたり、小屋の中は真っ暗だったから、どんな顔してやってたのか、母さんの顔は見えなかったけどな……そんな可愛らしいところもあったなあ、そう言えば……
しかし、朝起きて、二人で寝袋から顔出して、顔見合わせた時は、なんだかちょっと気恥ずかしくてな……さすがに。照れてしばらくうつむいていたような気もする……若かったなあ……あの時」
今になって、おやじと、母さんのこんな思い出話を聞けるとは思ってもいなかった。母さんの三回忌のこの夜に。おやじの印象。母さんの印象。今頃になって、初めて知る一面があったなんて。これまでの自分の記憶の中にはいなかった父親と母親が、新たに居場所を作って、俺の記憶の一部となっていく。
大切なものが一つ増えた。
今夜のおやじは饒舌だ。