俺が登った山の話をすると、『行きたい、行きたい、自分も連れて行け』って、よく言われていたんだ。でも、慣れた俺たちが登るところと、初心者の女の子が行けるようなところは違うからな……なんとなく、ずるずると延び延びになっていたんだ……でも、結婚する前に一度は連れて行ってやりたかったんだ。それで、母さんも登れそうな山を選んで、二人だけで登りに行ったんだ。
時間をかけて、休みながらゆっくり登れば、初心者の女の子でも登れるような高さの山を選んでな。
いい山だよ。そこは。山頂まで登れば、景色が開けていて、まわりの山の連なりも見えて、とてもきれいなんだ。山登りがほんとに楽しいって思える場所だよ。つらい思いをせずに登れる山なんだ」
そう言いながら、おやじは顔を赤らめてわずかに微笑んだ。酔って紅潮しているんだろうけど、なんだか、はにかんで頬を染めているようで、また、おやじの顔が幼く見えた。
「結婚前のなあ、独身時代最後の二人の思い出づくりだって、母さんも行く前から喜んでくれていてな……登る当日もずいぶん楽しそうだった……」
おやじは、そこまで話して一息つくと、また酒で喉を潤した。その時のおやじは、外で遊んできた報告を夢中で喋っている子供のような表情をしていて、『おやじもこんな顔をするんだなあ』と、自分の父親の顔とは思えない表情に、今まで知らなかった表情に、見ているこちらもなんだか気恥ずかしかったような印象が残っている。
「登るときも途中、何度も何度も休みながら登ったよ。舗装してある道路から山道(さんどう)に入るとな、ごつごつした大きめの石が道に埋まっていることもあってな、そういうの踏むたびに母さんが痛がるもんだから、ほんとに登っているより休んでる時間の方が長く感じたもんさ。でも、痛がってるわりには母さんも楽しそうだったよ。まあ、登山ていうのはそういうもんだけどな。辛いって思うことが楽しい、みたいな。そんなものなんだ。
それからな……山から下りてくる人と時々すれ違うんだけど、すれ違う人みんなが、『こんにちわ~』とか、『がんばってくださ~い』とか声かけてくれて、道の端に避けてくれるもんだから、母さん、それに感動しちゃって、『山登りする人はみんな親切でいい人ばっかりなんだね!』って言ってにこにこ笑っててな……一応、登山のマナーだからって教えてあげたりして……『それでも、みんな笑顔で挨拶してくれるからうれしい』って言って……そんな話をしながら登ってたんだ。
予定よりは少し時間がかかって……尾根の道に辿り着いた時には、母さんがほんとに喜んでなあ……『こんな景色初めて見た!』って。山のてっぺんって、ほんとにとんがっているんだぞ。知ってるか?尾根の道は幅が一メートルもないぐらいで、両端は崖で、なんていうのかなぁ、四角錐のてっぺんがまっすぐ道になっているみたいな……そこから見る景色は登らないと見えない風景だからなあ……登ったものだけが味わえる特別な景色なんだ。それを見て、母さん喜んでくれたんだ、『足が痛かったの忘れちゃった』って言ってな。