私の昔の記憶は曖昧だ。いろいろなことを覚えているけれど、それを本当に自分自身が覚えていたのかはよく分からない。小さいころ、机の上に乗っておもちゃのマイクで歌を歌っていたことも、もう今はいない祖父に果物を渡して「あげる」と手渡したことも。
私の父親は写真を撮るのが好きだ。
因みに私が生まれた頃からビデオカメラも持つようになった。生まれたての私を三脚で固定したビデオカメラで何時間も撮影していたこともあるのだという。母親に「何も変わらないのにそんなにとってどうするの?」と言われて編集して大幅にカットしたらしいけれど。だから、家には小さいころの写真やビデオが溢れるほどある。小さいころの写真があまりないという友人にそれを言うと羨ましがられるけれど、少し大きくなって思春期になったころはしつこくレンズを向けてくる父親にうんざりしていた。そんな彼が取ったビデオは時々家のテレビで映し出される。だから、それを見たせいで昔のことを知っているのか、それとも本当に覚えているのか私には分からない。でも、成人してからは父親のその趣味に感謝している。たくさんの亡くなっていく人を見ていく中で、それは自分が生きた証拠の一つになることを知ったから。
私の母親は多趣味で指先が器用だ。
トールペイントを趣味にしており、今までもたくさんの作品を作り上げてきた。昔はもっと他の事にも手を出していたようで、家には彼女の手作り品がたくさんある。マフラーや、粘土で作られた造花。フルタイムで仕事をしているので忙しいし疲れているはずなのに、いつも私の話を聞いてくれる。その日あったこと、つらかったこと、彼女にだって同じように色々なことがあるはずだけど、じっと私の話を聞いてくれる。そして料理が上手で小さいころ私はほとんど外食をしなかった。それでも毎日のように違う手作り料理を彼女は出してくれたし、今でも毎日早くに起きて家族全員分のお弁当を作ってくれる。
私の妹は繊細で可愛い。
何事にも一生懸命に取り組んでいる姿は私にとってもいい刺激になる。彼女は甘え上手で、つい彼女を見ると私は何かしてあげたくなる。彼女がまだ学生の時は服を買ってあげたり、どこか美味しい店でご飯をご馳走したりしたものだ。彼女には私をそうさせる不思議な力がある。私の友人には「シスコンなんじゃないの?」と言われるけれど、正直言ってそれでもいいと私は思っている。
そんな彼女は今、一生懸命仕事をしている。シフト性で時間が決まっていない彼女の仕事はとても大変そうだ。それでも、私が落ち込んでいるときに「お姉ちゃん、大丈夫なの?」と声をかけてくれる優しさを持った妹だ。
世界にはいろいろな家族がいる。
特に最近は家族の在り方も多様化してきているから、私の家族とはかけ離れた家族の形をしている家庭もあるだろう。