「お大事にしてくださいね」
今までそう何度も口にした。
私がその言葉を口にした人の中には、もう会うことのなかった人もいた。
今勤めている病院でも残念なことに「おめでとう」と言えない経験をしたこともあるが、幸せなことに本当にそれは数えられるだけだった。私が心から、気持ちよく「退院おめでとうございます」と言えるのはここが初めてだった。
人を幸せにさせる、人が幸になるのを手伝うことができる。
私はこの仕事にやりがいを感じていた。
私には家族がいる。
お父さん、お母さん、そして二つ下に妹がいる。まだ私は結婚をしていないので同居している。叔父や叔母、いとこもいれば祖母もいるけれど、そこは割愛させてもらう。
新しい家族の誕生を見るようになってから、私は一層家族を愛おしく、大事に感じるようになった。私が生まれた意味や、価値を考えるようになった。私が生まれたときも大勢の人間に「おめでとう」と言ってもらって、それまでの痛みなどなかったことのように幸せな顔で母親は私を見つめてくれたのだろうか、と。
帝王切開の片づけをしているときにとある先輩が言った。彼女は既婚者で子供もいる。いつも気さくに話しかけてくれる、とてもいい人だ。
どういった経緯でこういった話になったかは分からないが、彼女はこう言った。
「自分に子供ができると、親って大変だってよく分かるのよ。だから親孝行しなくちゃね。いつまでできるか分からないんだから」
この仕事をしているから分かる。普通の人よりもより強く感じる。
人はいつ死ぬか分からない、という事実。
もしかしたら今日かもしれないし、明日かもしれない。
私はその先輩の言葉にこう答えた。
「そうですよね、人なんていつ亡くなるか分からないですもんね」
私も以前働いていた病院で、何度か心肺停止状態の患者に心臓マッサージをしている姿を見ている。次の日出勤してきたときに、昨日まであったベッドネームがなくなっている事だって何度も経験した。
「親孝行をしたいと思った時には、もう親はいないものよ」
そう少し寂しそうに語った先輩の父親は、彼女が若いころに亡くなってしまったのだという。
私はその言葉を聞いて、自分の父親と母親の顔を思い浮かべた。もし明日私の両親が死んだら……そしたら私は後悔するだろう。もっと何かできたんじゃないかと、後悔するだろう。まぁ、いつ死ぬのか分からないのは自分自身にも言えることで、明日死ぬのは自分かもしれないが。