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『或る家の灯』前田雅峰


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「奥さんは見ての通り、川桁、いや会津でも一番の美人さんです。此奴、課長になった途端に奥さんを貰いに故郷に帰って来た許せない奴なのです。此の野郎ー」
 また『わはは』と笑声が上がった。
「近くご結婚のご予定という事ですが、まだ間に合います。此の綺麗な娘さんを横取りしたい人は、是非急いで奥さん、じゃなかった此の御婦人に攻勢をかけて下さい。でももう奥さんのご両親は、お二人のご結婚を承諾した模様です。たった今。此の野郎ー」
 拍手が起こった。二人は立ち上がり、四方に何回か礼をした。良い、幸せそうな笑顔だった。そして今一度拍手が起こり、一気に雑談の声で座はがやがやと賑やかになった。
 順次は此の司会役の男から事の経緯を聞きながら、段々もやもやと自分の内にあるものが大きくなって来るのを感じた。順次は時々娘の顔を横から眺めた。そうしているうちに、そのもやもやは一つの具体的な感情に集約して来たのだった。
 順次は初めて自分の衣服を恥ずかしいと思ったのだった。余りにも差があり過ぎる。向こうは綺麗で如何にも新風の軽快な洋装、靴や鞄も垢抜けた良い品物だ。一方、順次はいつも着ている万年の普段着と大差無かった。実際、順次は外出着というものを一着しか持っていなかったのである。軌道会社入社の時即ち順次が中学卒業の時に作った背広だけである。しかし当然、もう今の体格に合っていなかった。母親は何度も新調しろと言っていたのだが、順次が自分でそれを断っていたのだった。
「僕には、そんな外出着は要らないよ。そんなものが必要な所には行かない。僕には此の家さえあればいいんだ」
 順次はいつも胸を張って、母親にそう返事していたのだった……。
 もとより収入に大きな差はあろう。順次は思った。
「しかし、しかし、自分が此の姿のままで或(あ)の綺麗な娘に好きだと言ったら、或(あ)の娘は何と言って返事した事だろう。そんなに悪い娘には見えないから、婉曲に断るだろうか。いや、いや、それよりも、恥ずかしくて、言い出す事なんか出来ない。そうだ、或(あ)の娘に決まった相手がいようがいまいが、言い出す事自体が出来ない。それに、今から新しい服なんか買って、着て、それで何になるのか。そんな事をしなければうまく行かない事なんか、どうして本当に自分に必要な事なものか」
 宴席がお開きになって、仲間の数人を若松方面に送る為に皆が国鉄の川桁駅に集まる頃から、順次は自分が恥ずかしくて堪らなくなって来た。しかし、みすぼらしい丈の合っていない服が、ではない。収入のそんなに多くない自分が、でもない。それを恥ずかしいと思った自分が、である。自分は老いた両親と共に生きて暮らす為に、此の土地に残った。勿論である。それが理由だ。それで十分に自分は幸福なのだ。『ただいま』と家に帰れば、其処には自分に必要な全てのものが揃っている。逆に言えば、其処に無いもので自分が本当に必要とするものなど、無いのだ。有り得ないのだ。なのに、自分は自分が納得して生きている父親の昔の服装を恥ずかしいと思った。自分の服装を恥じたのだ。それは自分を恥じたに等しい。自分を支えてくれているあたたかで此の上もなく大切な家族を恥じたに等しいのだ。それを恥じた自分が許せなかった。

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