祖母が亡くなったのはお盆を過ぎて少ししてからだった。風邪をこじらせて肺炎になり、それまで入所していたグループホームから病院に入院になり、認知症の進行も手伝って日に日に食欲もなくなり、祖母はあっという間にやせ細ってしまった。
認知症の症状が出始めた最初の頃は、介護ヘルパーやデイサービスを利用してなんとか自宅で過ごせていた。しかし、祖母の人生に長く染みついた料理だけは止められず、度々鍋を黒焦げにしたり、とうとうコンロ上でタオルを燃やして火災報知器を鳴らせた。このままでは危険とケアマネージャーからの助言もあり、仕事を辞めることのできなかった母は、祖母をグループホームに入れてしまった。今ならば、その母の選択が間違っていなかったことは理解できる。当時は私も高校生という多感な時期で、介護の知識なんてもちろんない。いつも私に優しかった祖母の中から、私という存在が消されてしまった…というだけでもショックだったのに、祖母の尿失禁をしてしまっている姿なんて見たくもなかった。人は誰でも老いる。しかし、自分にとって絶対的な存在だった祖母の老いは、当時の香子には到底受け止めきれるものではなかった。その現実から、祖母から目を逸らし逃げることで精いっぱい。グループホームへは一度も面会には行かなかった。行けなかった。見たくなかった。私を誰かも分からずに、敬語で話しかけてくるただにこにこと微笑む老人は、もう私の祖母ではない。
「おくずかけ、つくらなくちゃね…」
祖母が私の顔を見て微笑んでいる。
ばあちゃん…
その一瞬、それは私の知っている祖母の顔だった。
「ばあちゃん!分かるの?私は?」
私は慌てて祖母にしがみついた。酷く痩せて、今にも折れそうな細い腕…
そんな私の問いに祖母は応えることはなく、もごもごとまた何かを呟いている。たった一度。たった一度だけ、祖母の入院先に行った時の思い出だ。思い出なんて綺麗なものではない。後悔と、醜い自分の感情しか思い出せない。その数日後に祖母は死んだ。お通夜も、お葬式も、香子はほとんど出なかった。出棺の前の晩、夜中にこっそりと祖母の顔を見に行った。
「ばあちゃん…」
絞り出すような小さな声で、声をかけた。酷く痩せて、以前とは顔も違うその抜け殻のような老人が、確かに祖母なのだと実感してしまう。
「ごめんね」とか、「育ててくれてありがとう」とか、「じいちゃんによろしくね」とか、言いたいことはたくさんあったのに、私にはそんなことを言う資格なんてない。と、泣き声と嗚咽をただ、ただ、押し殺した。
「もう本当に最後なんだから、出棺くらい顔を出しなさい!」
部屋で丸まっていた私に、母は声を掛けた。その瞬間、自分でもびっくりするくらい頭に血が上った。頭の血管が切れてしまうんじゃないかと思うほど、頭がかっと熱くなったことがわかった。
「最後?最後ってなによ!」
しまった…と思った時には、もう止まらなくなっていた。この醜い声を誰か止めて…