9月期優秀作品
『イチジクの花が咲くころに』芹田アン
「香子ちゃん今年もお盆は帰らないの?」
8月に入ると、見知った利用者さんや、職員達に声をかけられる。入社した最初の年は、主任が気を利かせて休みを入れてくれていたけど、頑なに年末年始もお盆も帰省しない私を見て、今では喜んでシフトを組んでくれている。私は曖昧に微笑んで、さも仕事がある素振りでそっとその場を離れる。いつものことだ。いつものことなのに、「帰省しない」という事実は、どうしてこんなにも苦いのか。
デイサービスに盆も正月もない。もちろん、普段よりも利用者さんの人数は減るけども、利用人数がゼロになったことは一度もない。少なくとも香子がここに努めてからの数年は。
お正月やお盆くらい、ご家族と過ごしたいだろうにかわいそう。入社したての頃は、そんな上から目線でひとりよがりのまったくもって恥ずべきことを思ってしまったこともある。きっと、家族と過ごす「その時間」を知っている人ならば、誰でも思うのではないだろうか。そういう、今まで自分が信じて積み上げてきた常識が通用しない、崩れ落ちる、「社会に出る」とはそういうことなんだと香子は肌で感じていた。
「香子ちゃんはね、色々と「わけあり」だからね!」
パートの笹本さんが、人のよさそうな顔でにかっと笑う。利用者さんも、職員も、もちろん笹本さんも、本当の「わけ」を知る人はいない。だって話したことも、これから誰かに話す気もない。このどこにでもいる、話し好きで、世話好きで、ムードメーカーのパートのおばちゃん…パートの先輩介護士のこの人は、利用者さん、職員問わず、とにかくどんな話しにでも首を突っ込み、大声で話し、それらに合わせて泣いたり笑ったり。そのあくなき探究心を日々移り変わる現代の介護事情にも向けてくれ!と、おそらくほとんどの職員が思っているであろうことは、入社してすぐに理解できた。それでも、このデイサービスの開所当時から働き、その前はまだ家政婦のような位置付けだった頃から介護に携わっているらしく、まさに生きる「介護士の歴史」のような人物なのである。人生の大先輩としても、見習うべき所はたくさんあった。それも、共に働いていればこそ見えてきたところかもしれない。
「私はもうすぐ、こっち側だからねぇ!」
利用者さんたちがダイニングテーブルに集まると、決まって笹本さんが言う鉄板ネタである。利用者さんたちが声を出して笑う。認知症が進み、幼い少女や女学生やらに戻っている利用者さんも肩をあげてクスクスと笑う。それまでテーブルに突っ伏して寝ていた利用者さんも、その笑い声につられて顔をあげる。香子は、昼食前のこの瞬間がとても好きだった。
「香ちゃんと一緒に食べるごはんと、香ちゃんのめんこい笑顔は、ばあちゃんの元気のもとだぁ。」