「うそ…地下鉄が通ってる…」
実家へ向かうバスの中で、色々なことを思い出す。まるで自ら封印していたかのように、封印を解かれた思い出たちが次々に溢れてくる。やはり、「地元に帰って来た」という肌で感じる事実は、想像よりもずっと心を揺さぶるらしい。
こんな時に、兄妹でも居たらよかったのにな…
思い出を共有できる家族は、香子には今はない。母がひとりいるけれど、母と思い出話しをする気にはなれないのだ…
なぜ……
バスを降りると、この辺りもまた真新しい建物やマンションなんかがいくつかあったが、自分の実家が分からなくなるような様変わりはしていなくて、香子は少し安心した。
これ以上の変化には、今の私は順応できそうもない。
香子はほっとすると、実家へと向かって歩き出した。近所の友人ももう実家には居ないし、好きだった洋菓子店もラーメン屋もとっくになくなってしまった。実家に行く前に、どこかでコーヒーでも飲みたい気分だったが、そんな店がこの辺りにあるわけもなく…無情にも、バス停から徒歩7分ほどで、あっという間に実家の前まで到着である。
玄関前で深呼吸をして、ややためらいながらインターホンのボタンに指をかけた。
「おかえり!」
インターホンからではなく、庭の方から声がした。庭先から母の顔が出ている。何か作業中なのか、今までに見たことのない母の恰好にしばらく香子は固まっていた。
「やだもぅ、香ちゃんそんな顔しないでよ~」
母はけらけらと笑いながら、首元のタオルで額の汗をぬぐっている。母が、あの母が…ほぼすっぴんで、ヨレヨレのエプロンをして、首にタオルを巻き、大きなツバの麦わら帽子をかぶり、庭仕事をしている…かつて祖母が手入れしていたイチジクの木やザクロの木は青々とした葉を揺らし、畑には茄子やらささぎやらトマトやらの夏野菜がきらきらと光っている。何も変わらない大好きな庭。その庭で、別人かと思うほど変わり果てた母が微笑んでいる。ああ…やっぱりばあちゃんに似てるんだ…香子は母を見て、夢でもみているような気持だった。
香子の母は、某有名化粧品会社に勤めていた。売り場の販売員はもちろん、勤務年数を重ねてからは、販売員指導や店舗改装など内部の仕事も任されていたらしく、とにかく忙しく、そして楽しそうに働いていた。化粧は決して薄くはなかったし、いつも香水やら化粧品やらのきつい香りをまとっていた。日焼けを嫌い、真夏でも長袖を着ていたし、身なりもいかにもなブランドでまとめて、いつもハイヒールを履いて背筋を伸ばしており、自信に満ち溢れていた。たくさんの化粧品は、子ども心に宝石のようにきらきらとして見えたし、なによりもそんな母を香子はとても自慢に思っていた。慕っていた…はずだった、あの時までは。