「あっ、敏子さんの絵馬やな」
いつのまにかオバジェンヌが横におってその絵馬をまじまじと眺めとった。
「さすがやなぁ。敏子はん」
「普通やったら、笑いたい時に笑えますちゃうのん?」
「敏子さんが言いたいのは、ちゃんと泣きたい時に泣ける人は、心の中がいつも平常心でゆとりがあるねんって。涙をこらえてばかりいると、心の中に涙の風船がいっぱいできて、それが胸をいつもぎゅうぎゅうと締め付けることになるんや」
「オカンがそんなこと言うたん?」
「うん、守くんがお父さん死にはった時にも泣かんかったやろ。拳握ってこらえていたやろ。それ見てそう思ったらしいで」
「オカン、よう見てるな」
「そら家族やからな」
オカンは、その後、オバジェンヌにこう付け足したそうだ。
涙でできた風船がはちきれたとき、人は無感情になるか冷酷になるか、仙人みたいに悟りきった顔で薄笑いするかやって。そのどれにも守にはなって欲しくないと。喜ぶ、怒る、哀しむ、楽しむ。そんなことを素直に感じて表現できる人であって欲しいと。
俺は、なんか知らんけど涙が出そうになったから、おみくじの方に走って行った。オバジェンヌには絶対に見られたくない顔やから。
「おっ、末吉やわ」
「そのぐらいがええねん!敏子さんは、大吉出るまで引くから、巫女さんから顔を覚えられていたで」
「うそー!これ見て」
俺はリュックサックから輪ゴムで留めたおみくじを取り出した。
厚みにすると三センチくらいのおみくじがぎっしり詰まっている。
「オカンが、『守!今週も大吉や!』って、週初めにいつも渡してくれんねん」
「それにしてもえらいようさんあんなぁ」
「小学校に入ってからほぼ毎週やで」
俺は、オカンがほんまに毎回、大吉をひいていると信じていたし、オカンからその大吉をもらうたびに、自分の中で生きる自信が膨らんでいくようで、うれしかった。
オバジェンヌは、束ねられた大吉のおみくじを見ながらちょっと目をうるましよった。
「敏子さんの愛やな」
愛なんて言葉をじかに聞くとうすら寒い。オバジェンヌの言葉は安もんのセリフみたいでやっぱり、元舞台女優やったんや!と思ったわ。でも、オカンがくれたおみくじが俺をどんなときでも最強な気分にさせてくれていたことはまちがいない。このおみくじは俺の宝物やねん。
天王寺から、阪和線で和歌山に行くことになった。
一時間ちょっとで着くらしい。