9月期優秀作品
『エスケープ』高山純子
「あんたのお母ちゃん、男と逃げたで」
自称、元タカラジェンヌだという隣に住むおばはんは、目尻を下げてうれしそうに俺に言った。
今、俺とオバジェンヌがいる場所は、近所のお好み焼き屋兼駄菓子屋だ。
細長い鉄板カウンターに丸椅子が4つ。カウンターの奥は、すりガラスの引き戸になっていて、そこがお好み焼き屋さん家族の居間兼食堂なんだろう。カウンターの隅には古い漫画本が積まれている。店は駄菓子屋も兼ねているから、アイスクリームの冷蔵庫やら駄菓子やら、景品で、ごちゃごちゃしていた。お好み焼きの味は、正直に言って旨くない。でも、鍵っ子の俺にとって、給食がない土曜日は、ここに来ることがお決まりだった。
土曜日、ここに来るといつも先に、オバジェンヌがいて、豚玉を食べていた。
俺の家は、小4の時にお父さんが病気で死んだ。おかんとお父さんは、病院で知り合ったらしい。「おかんは白衣の、悪魔だった」とお父さんは言っていた。看護婦さんの中で一番厳しい女と患者から恐れられていた。
心も細いが容姿も細身で色白のお父さんとは、まったく正反対で、おかんはがっしりしていた。背の高さは普通やけど、肌は浅黒く、目は丸く、その昔、だっこちゃん人形に似ているからだっこはんと呼ばれていたそうだ。そのだっこはんのおかんが失踪?
「うそや、おかんは昨日、夜勤やったから、もうすぐ帰ってくる」
「そやかてもう、お昼やん」
「たまに遅なるねん。買い物とかして帰るから」
「まっ、ええわ。今晩、帰ってこんかったら、家においで」
オバジェンヌは、うきうきと応える。
今日のオバジェンヌの格好は、ムームーだった。バナナやパパイヤ、マンゴなどでかいフルーツがダイナミックにプリントされている。その生地を四角く塗って、首と袖の所に穴を開けたようなシンプルなデザインで、オカンにも同じものを作ってくれたことを思い出した。
「うわ、こんなええもん、もろてええのん?」
おかんは嘘をつくと、右目の下の頬がくぼむ。それだけ作り笑いをしている証拠だ。
さっそく寝巻き代わりに使っていた。
今、その寝巻きと同じものを着たオバジェンヌは、豚玉をコテで上手に食べている。
「ほな、今夜な」
「帰ってくるから!」
俺は、お好み焼き代の二百円をおばちゃんに渡して、店を出た。
「ごちそうさま。おいしかったわ」
右目の下がくぼんだ。
俺の家は、府営住宅で二階建ての家が七軒ズラッと繋がっている。ちょっとした庭もあって向かいは公園。オバジェンヌは左隣で、右隣はタクシーの運転手の丸山さん一家や。丸山さんの家は、高校生のお姉ちゃんと、中学生のお兄ちゃんがいてる。丸山さんのおばちゃんは、近所のスーパーでレジを打ってはんねん。