何度も何度も水を流し、声が枯れるまで叫び続ける。いつも変わらない芳香剤の香りが、黙って紗希を包んでいく。
お寿司を食べ終え、実家へ向かう車内で、父は紗希を褒めてばかりだった。
混みあう狭いカウンター席で、紗希は手際よくふたりの前に箸とおしぼりを並べる。注文が決まれば、何の躊躇もなく店員さんに声をかける。小さい頃の紗希しか知らない父には随分と別人に思えた。
杖をつき入ってきた年配のご夫婦には、隣の椅子をそっと引いて座りやすくもした。
「バイトでずっとやってたから」
「小学生の頃は、たった二十人の生徒の中でもほとんどしゃべらんかったんだぞ」
貸し切りのような道路を軽快に走らせながら、父は懐かしそうに「ははは」と笑う。
「『分かる人』って先生が聞いてさ、珍しく紗希が手を挙げとるけぇって当てたら、何も答えずに泣き出したって、覚えとらんか?」
「あったっけ?」
徐々に思い出す父の家までの道のりを窓の外に眺めながら、紗希もつられて笑った。
祖母が他界し、三年前にリフォームしたという父の家には、面影がほとんど残っていなくて、返ってそれが紗希には気楽だった。父もいつまでも、過去に住んでいる必要はない。
仲の良い女の人とかいるのかな。
ふとそんな思いが紗希の脳をよぎる。
「奥の部屋が空いとるけぇ。お風呂やトイレの場所は変わっとらんけど、まあ、覚えてないわな」
窓を開け、風通しを良くしながら、父は廊下を進んでいく。
えっ? と思い、紗希は足を止めるとトイレのドアを開けた。
中から夏美のアパートのトイレと同じ芳香剤の匂いがする。
「どうして、この芳香剤」
「思い出したか?」
父が目を細める。
「パッケージが変わっとって戸惑ったけどさ、匂いは同じで良かったで。紗希が来るって言うけぇ、慌てて買ってきただで」
「思い出すって……これずっと」
「お婆ちゃんがいつもこれを使っとっただろ? 紗希も好きだったがな。それも覚えてないか? よくトイレの中で寝とってなあ。落ち着くんだか、安心するんだか。もうちょっと寝かせてやれなんておふくろが言うもんで、俺も何度も我慢したもんだ」
この匂いが当たり前だと思っていたが、夏美がトイレにいつもこれを置いていたのは、そういう理由からだったのか。なんだか少し、ちくりとする。
「懐かしいだろ?」
父も深呼吸して匂いを嗅ぐ。
「懐かしいもなにも、夏美――」