9月期優秀作品
『トイレは鬼の愛』山本
棚の奥に置かれた商品は、その時点で不利だ。
そう思い、紗希は棚の一番後ろに置かれる芳香剤をかごに入れた。店員の視線が背中に刺さる。スーパーの食料品じゃないんだから……。そう言いたいのだろう。
そんなことは分かっている。
それでも紗希は、奥の商品に同情せずにはいられなかった。棚の奥に手を回し、救い出すようにかごに入れていく。
目を合わせないように支払いを済ませ、レジに置かれた袋を奪うと、紗希は商店街の坂道を真っ赤な自転車で上っていった。
「塾に行きたい」
小学六年生の梅雨。
紗希がそう言うと、「受験でもするつもり?」と夏美は冗談でも聞いたように苦笑した。仕事終わりのブラウスにエプロンをかけ、夏美は遅い夕飯をテーブルに並べ続ける。
満員電車のような都会の教室に、紗希がようやく馴染んできた頃だった。
「勉強嫌いだったじゃない」
食卓の椅子はまだ紗希には高過ぎて、背伸びして座った椅子からは、紗希の足がてるてるぼうずのように揺れている。
「だってみんな塾、行っとるんだもん。授業ですること、みんなもう知っとってな、初めてなのわたしだけなんだで。わたしだけ遅れとるんだけぇ」
みんなが塾に行っていると分かると、紗希は授業中に手を挙げることが怖くなった。答えが分かっても、みんなも当然知っている。自分より頭の良い子を差し置いて、自分が解答権を得ようとすることに気が引けた。
「行きたいなら、バイトして、自分で稼いで行きなさい」
「小学生、バイトできんがぁ」
「じゃあ、稼げるようになったら行きなさい」
「小学生、卒業しちゃうがぁ」
会話を終わらせるように手を合わせ「いただきます」とつぶやくと、夏美はサバの味噌煮を炊きたてのご飯に合わせる。ご飯は、紗希が学校から帰ってきてから準備したもの。サバの味噌煮はスーパーのお惣菜だ。
夏美が離婚し、田舎のだだっ広い家からこの小さなアパートで暮らし始めると、食卓に並ぶ味はがらっと変わった。お婆ちゃんが作る味の濃いきんぴらはない。お父さんが畑から採ってくる腰の曲がったキュウリや、太り過ぎてお腹の割れたミニトマトも出てこない。
お味噌汁の具材は決まってワカメ、豆腐、シジミのどれかになった。
「学校はちゃんと行きなさいよ」
テーブルの空いたスペースに資料を広げ、ときどきペンで何か書き込みながら夏美は次のおかずに箸を伸ばす。
「行儀悪いんだぁ」
お婆ちゃんの口癖を思い出しながら、紗希は自分によく言われたそのセリフを真似した。
「食べるときは、ちゃ~んと食べんと。立派な大人になれんだけぇ」