紗希は結局、英語クラブに入部した。教科書とALTの先生、図書館の貸し出すレーザーディスクで事足りる。
中三のとき、部費で参加したスピーチ大会で、紗希は見事優勝した。
自撮りした写真を出発前に送ると、「大きくなったな」という返事が届いた。父も自分の顔を送り返してくるかと思ったが、搭乗前に「待ってる」と来ただけで、動き出した機内にはスマホの電源を切るようアナウンスが流れる。
父の顔が分からないわけではない。
数日前にチェックした父の研究所のウェブサイトには、白衣を着た父が研究主任として載っていた。だから空港では見つけられる。自分が困っても、父が見つけてくれる。
機長がおよそ一時間の飛行時間を伝えてくる。父がいるのは本当はそんなすぐ近くだった。小さくなるこの都会のシンボルたちの向こうに、夏の湿度に黒く霞む富士山が小さく見えた。
「大きくなったな」
父は同じことを言葉にした。
到着ロビーで手を振る本人を前に、紗希は思わず会釈を返す。白衣を着ていない父は何だか少し違って見えた。紗希のバッグをつかむと、父は駐車場へ先導していく。空港から市内までの連絡バスの傍らでは、運転手たちがタバコを吸いながら談笑していた。数時間前の人ごみが嘘のように、だだっ広い駐車場にセミの声が響いている。
防砂林の並ぶ海岸線を通りながら、「お昼はお寿司でいいか」と父が聞く。「やったあ」と紗希はおどけてみせた。
「紗希ももう、大学生かあ」
「結局バイト中心の生活だけどね」
「ここら辺は何も変わらんけぇ」
「お父さんはまだ同じ研究?」
気を遣わなければ沈黙が支配してしまいそうな車内で、ふたりはぶっつけ本番な会話を続けていく。
「ちょっと窓、開けていい?」
エアコンの効いた車内で、紗希は窓の外を眺めながら聞いた。
「暑いで」
「懐かしい匂い」
ほんの少し窓を下げ、紗希はその隙間に鼻を近づける。もわっとした中に、海の匂いが溶け込んでいる。
紗希が初めてここに来たのは、一歳になりたての頃だった。父の地元の研究所への赴任が決まり、育児休暇が終わり間近だった夏美はそのまま退職することになった。
大きなつばの帽子に白いシャツを纏った夏美に抱かれ、眩しそうに目を細めるその頃の自分の写真が、父からもらったミニアルバムに入っている。