たった一枚のセキレイが、心をざわつかせる。
父の撮ったセキレイは、かつてぼくが撮ろうと躍起になっていた構造そのものだった。
「仕事がたまっているから」と母には嘘を吐いて、ぼくはその日の内に東京へ帰った。
アパートには戻らなかった。電車を乗り継いで羽田空港へ行くと、そのまま釧路空港行きのチケットを買った。
バカなことをしている。
それでも、ぼくは父がセキレイを撮った場所をこの目で見たかった。
釧路空港から三十分、バスに揺られて釧路駅へたどり着いた。
快晴とは言え気温はマイナスで、外は凍えるほどに寒い。雪は溶けずに街中に積もっている。道路は除雪され滑り止めの砂が撒かれているが、運転は大変だろう。
もしタイヤがスリップでもしようものなら、自分の足と違って止めることができない。自分が転んで恥をかくのなら良いが、他人を巻き込んではシャレにならない。
パチリと一枚、釧路の写真を撮った。
美しい釧路川に、真っ青な空。雪景色の街。
「うまく撮れてるじゃないか」
写真を見て自画自賛する。とはいえぼくの腕ではなく、カメラの性能によるものだ。
今ではカメラの性能が向上して、簡単に美しい写真が撮れる。
しかし、いくら美しい写真を撮ってもセキレイを追っていた頃の感動はない。
あの頃カメラに傾けていた情熱は、いつの間にか消えてしまった。
写真を眺めて感傷に浸っていたら――青色の軽自動車が、前輪をふらふらと横滑りさせていた。
タイヤをスリップさせたその車はぼくの方に向かって来た。
慌てて逃げ出そうとして、ぼくは派手に転んだ。
軽自動車を運転していたのは、四十歳程度の女性だった。
彼女は見ているこっちが不憫に思えるほど、ぺこぺこと何度も頭を下げた。
「ホントにすいません。気を付けていたんですけど……スリップしてしまって」
「いえ、別に。大丈夫です」
「救急車呼びますか? 頭、ぶつけてたら大変ですし」
「あの、ホントに大丈夫なんで。気にしないでください」
ぼくが慌てて転んだだけなのに、大事にされてはたまらない。
幸い、カメラは無事だった。
「カメラマンの方ですか?」
「え?」