「イヤよ、そんなの。私はここで最期を迎えるまで自由に暮らしたいの」
「せっかく人が言ってあげてるのに、なんで素直に聞かないんだよ!」
「ありがたいとは思うよ。けど、私は住み慣れた家がいいの」
「自分だけのことじゃなくて、何かあったら周りの人にも迷惑かかるんだからさ!」
私は意地になって、お袋の気持ちなど一切考えずに譲ろうとしなかった。
「あなた、お義母さんがそう言ってるんだから。もういいじやない」
「そうだよ、おばあちゃんはまだ元気なんだしさぁ」
「お前達もなんだ!もういい、好きにしろ!」
それから、私はお袋と口をきくことも連絡を取ることも絶っていたのだ。
「渚が言うように、もういい加減意地張るのやめたら?」
「そうは言うけど……」
私の中にあるのは、ただ今さら引くに引けない気持ちだけだった。
「おばあちゃん、足を捻挫したの知ってるでしょ?おばあちゃんからメールあったはずよ」
確かに三週間ほど前、お袋からメールが届いた。喧嘩をしてから初めてのメールだった。階段を踏み外し左足首を捻挫したという内容だったが、生活には特に支障はないとあったので、そのまま流してしまっていた。
「一人暮らしで足を捻挫したら、どれだけ生活が大変か父さんは分かってないでしょ?私が夏休みだから良かったけど、そうじゃなかったらどうするつもりだったのよ?」
そういうことだったのか。渚はお袋の介護に毎日通っていたのだ。それを知らずに私の中で勝手な妄想が膨らみ、一人で頭を抱えていたことが情けなく、そして恥ずかしかった。
「渚ちゃん、もういいのよ。父さんは昔から頑固なんだよ」
「おばあちゃん、そんなこと関係ないよ!頑固か何か知らないけど、謝る時は謝らないといけないし、家族仲良くしないといけないでしょ!」
高校生の娘がそこまで考え、仲を取り持とうとしてくれている。私の中には父親として情けない気持ちと、娘の成長を嬉しく思う気持ちがあった。
私はゆっくりと顔を上げた。
「お袋、申し訳なかった。ごめん」
お袋と渚への謝罪の気持ちを込め、私は深く頭を下げた。
「はいはい、もうそれでいいよ。私はおじいさんが建てた家を守りたかったしあなた達に迷惑を掛けたくないから、今はこのまま暮らしたいのよ。それに渚ちゃんが良くしてくれたから、私は嬉しかったし。水族館なんか数十年ぶりに行ったのよ」
「ねえ、父さん!今日は何の日か分かるよね?」
「今日……今日は、何日だ?」
「八月十九日よ」
真理子が耳元で囁いた。
「八月十九……あ、もしかして誕生日か!」
「言われる前に気付いてよね!おばあちゃんも私も母さんも、皆んな美味しい焼肉が食べたいんだけど?」
渚はニヤリと笑った。