ふすまの向こうから祖父と祖母のくぐもった声がした。何かいつもと様子が違った。
ぼそぼそと漏れ聞こえたのは、幼かった父にも、暗く押し迫った雰囲気を感じさせるものだった。月があければ暮れも押し迫る。
米屋や八百屋からのツケ買いでの支払いを済ませ、新しい年を迎えるのは、子沢山の家にとっては、恒例のことだったようである。
「今年は、出ない」
今思うと暮れのボーナスが支給されない話だったのだろう。祖母の泣き声が聞こえた。
代わりにお店から現物支給されたのは男物の作業着だった。翌日から、その作業着を着て越冬用漬物に励む祖母の姿が。その姿のまま、麦ご飯をよそう祖母から、祖父と同じ匂いがした、と言う。祖母が亡くなった年は、早世した俺の父母の、回忌の年でもあった。
回忌膳に美味しそうに箸をつけていた祖母は、それを見届けるように法事の二カ月後に息を引き取った。ある日、断捨離中に、偶然見つけた、生前の二人の会話テープには、珈琲店で寛ぎ、「鍋壊し」の話題が録音されていた。
2020年の、東京オリンピック開催が決まった。喜びに沸く、日本中の街の様子が、盛んにテレビに映し出されていた。そんな画像を見ていて、他界した両親のことを、思い出した。両親は、冬季オリンピックが縁で、出会い結婚したからだ。ドイツ人の母親が通訳として、来日していた折に父親と出会ったのだ。父親は、東京の大学に学ぶ学生だった。だから、俺はハーフ、というわけだ。二人は、香水を扱う、小さな店を、今はラジオ局になっている、ここで始めた。
最初の不自然さは、嘘のように、伊藤との飲み会は、どんどん盛り上がってきた。
「自分の香り、そんな感じ、だよなあ」
「ああ」
「自分の香り、父親は、ミント系のだったなぁ、確か」
「へー、ミント系」
「ああ、ハッカさ」
「ああ、ハッカなぁ」
「じいちゃん、生まれ育ちの町、ここがよ、ハッカの故郷のような町で、よ、この国の、な、最盛期には世界中に輸出していた」
「へー、ハッカの故郷なぁ」
「ああ」
「没落したんだって、よ、調子に乗りすぎて、折角入植して、築いた畑も、加工工場も、全部さ、先代の時に失ったって」
「へー」
「それで、丁稚にさ、13歳の時に、よ」
「そうなのかぁ」
「ああ」
「じいちゃんと、ハッカは切っても切り離せない、そんな遺伝子を受け継いたのか、父親はミント系が、ことのほか好きだったなぁ」
「母親は、ドイツでも有名な薔薇の産地の出身という事で、薔薇なのさ」
「俺は、薔薇系も、ミント系も、でも母親が死んだからは、薔薇だっなぁ」
「薔薇だったよ、お前の匂いよ」
それが、いじめの、格好の対象となった。
学校へと通う道すがら。まず、いじめの、最初の洗礼を受けた。これが当たり前の日常であった。待ち伏せだ。リーダー挌のガキが、いつもの口火だ。住宅街の通学路には、大人の視線を遮る箇所はいくらでもある。格好の、いじめ天国だった。両親が生きていた時は、交代で学校まで見送ってくれる毎日だった。
それでも、帰宅の時には、出迎えは無理な事も多かった。
「おーす、外人!」
「おっす、あいの子!」
「お前よ、へんな匂いするな!」
「気持ち悪い!」
思いっきりの、蹴り。
容赦ない、こずき・・。