浴室には大きな窓があって、湯船につかりながら、外の木々が黄や赤に色づいているのが望めた。もう落葉も進んで、落ち葉に当たるパラパラとささやくような雨音が聞こえてくる。残り少ない独身時代、ゆっくり母の話をききたいと思って、長湯のできるこのぬる湯にしたのだ。
父親、つまり私の祖父と気が合わず、地元ではなく、東京の大学に進学した母だった。しかし、離婚後、幼い私を抱えて他に頼るところもなくて里帰りした。高校の同級会が開かれることになった。離婚を大勢に知られるのはためらわれて、欠席しようとも思ったけど、仲のよかった女友だちに誘われて、私を祖母に預けて思い切って出席し、今の父と再会した。
父は、地元の大学の理工学部を出て、しばらく会社勤めをした後、コンピューターのプログラムを組む仕事をしたいと、退職して一人で会社を立ち上げた。会社時代に社内結婚した奥さんには事務や経理を手伝ってもらうつもりだったが、自分の思うようにことが運ばないと気が済まないたちで、やがてプログラミングも事務経理も一人で抱え込み、家庭を顧みなくなり……同窓会で母と再会した時は、離婚してまもなくだった。子供はいなかった。
母と父は、たまたま同窓会での席が隣だった。高校の「マドンナ」だった母に、父もファンの一人だったという話から始まり、互いに結婚に失敗したことを含めて近況を語り合った。
離婚した男性は、失敗に学び、女性に丁寧に対応することが多いというが、父もそうだったらしい。「『俺様度』がかなり低くなって、謙虚になっていた」とは母の言である。交際をしばらく続け、実家に招き、私と遊ぶ父の姿を見て、「子供は好きだ」という父の言葉に嘘はないと感じた母。やがて二人は再婚した。
一般向けのコンピューターの基本ソフトの発売日に人々が列をなした年、私たち親子三人は東京に移った。外国語の辞書や翻訳関係のプログラムを手がけていた父の仕事が、東京の小さな会社の目に止まり、声をかけられたのだ。やがてその新興企業は業績を伸ばし、父は三十代半ばで役員に名を連ねた。風呂なしの小さな木賃アパートから、広めの風呂のある賃貸マンションへ、そして郊外の庭付き一戸建てへと引っ越しをした。
本降りになってきた。落ち葉に落ちる雨が小鼓を打つように聞こえる。ぬる湯に長時間入っていると、体の芯までゆっくりと温まってくる。
「父さんの稼ぎが良くなって、専業主婦で楽をさせてもらったわ。あなたにも手がかからなくなって、昔のこと振り返る余裕ができたんでしょう。ある年、卒業した大学の学園祭に一人で出かけて見たの。色づいた銀杏並木も見たかったし」
その日、母は最初の父と再会した。いや、正確に言うと、出くわした。大学を出て駅へ向かう途中にハローワークがあって、髭もじゃの汚いジーパンをはいた男が出てきた。見覚えのある横顔。別れた夫だった。肩を落としうなだれて。希望するような仕事はなかったのに違いない。真っ黒に日焼けした顔は屋外の肉体労働をしてきた証だろう。