『五月(さつき)待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする』
柑橘の香りに、男は元妻が袖に焚きしめていた香を思いだしたのです。元妻は別れた夫だと気づいて、尼さんになって山にこもってしまいました」
「その元夫、ちょっと意地悪ですね。知らんふりするのが気遣いじゃないでしょうか」
「男と女のことは、難しいです」
若者は、はにかんだように笑った。
それから二人の交際が始まった。私と血の繋がった父は、地方都市で医師をしていた父親を幼くして亡くし、母親は再婚。父は新しい家庭になじめず、早く親元を離れたいと懸命に勉強し、東京の大学に進学。親からの援助を拒み、学費や生活費はアルバイトで自らまかなっていた。私の母の父親は三度結婚を繰り返した男で、母も実家を離れたがって、東京に進学した。
母はまもなく私をおなかに宿し、いわゆるできちゃった婚。式は行わず、共通の友人を呼んでこじんまりしたパーティーを開いただけだった。
「私ね、高子、あなたがうらやましい。文金高島田を結ってみたかった。二回目の結婚もバツイチどうしでしょ。双方の実家の親戚だけが集まってお披露目のお食事会だけだったもの」
「だから母さん、自分のことみたいに、婚礼衣装の柄はどれがいいだの、ウエディングドレスはどうしようだの、熱心なのね」
垣根ぎわのススキに赤トンボが止まって、首を傾げたと思ったら、秋空に吸い込まれていった。
「幸せなんて儚いものね。あら、嫁入り前の娘に言っちゃいけない言葉ね」
こう前置きをして、母の思い出語りは続いた。
血の繋がった父は小さな出版社に編集者として就職。硬い文学書ばかり出して、時流に合わせられない社長は、まもなく会社を潰してしまった。「これが精一杯の誠意」と渡された退職金は二十万円。家庭教師や塾講師で食いつないだが、生来の口下手で、学ぶ力はあっても教える力はない。教え子たちの成績が上がらなかったり、希望校に進学できなかったりで、何度も肩たたきに。
私が二歳になると、母は私を父に預けて、スーパーのレジ打ちのパートに出た。1Kのアパートに在宅の父は不器用で、まともに料理は作れないし、私を部屋の中でぐるぐる回して遊んで壁にぶつけて怪我させたりと、主夫失格。それでも気のいい母は、「家事も育児も慣れればできるようになる」と父を気遣い励ましていた。
文学で身を立てようしていた父は公募に作品を出し続けたが、一回候補に残ったことがあったきりで、あとは全滅。いらついた気分に包まれるようになった。私がご飯を食べるために買った、子猫の絵を全面にあしらった、高さ二十センチほどの、脚がたためる小さな机があった。それに父が原稿用紙を広げて、書き物に心を奪われている間に、私が灰皿のタバコを誤飲し、パートからちょうど帰ってきた母が病院に駆け込んで、ことなきを得た事件があった。