さっきよりももっと饒舌な感じで。
海の暗さを疑似でこしらえるために早く新聞紙を巻き付けて蓋をしなきゃいけないのに、ついその口々にのぼる溜め息めいた音に耳を傾けてしまいたくなる。
海の中で泳ぐでもなく、たゆたうでもなくひしめき合っているはまぐりのそれぞれが、発している音に蓋をする。
ふと思い出す祖父のこと。
祖父の掌が私の頭をくしゃくしゃになるぐらい撫でてくれた時のあの熱っぽさを思い出す。すると喉の奥がわけもなく熱くなってきて、ちいさかった頃、私はおじいちゃんに溺れていたんだなっていうことに思い当たる。
父はもちろんほかの親戚の人たちに溺れたことはなかったけれど。唯一おじいちゃんには溺れていたんだなっていえすいえすと頭を垂れて、疑いの欠片もなくそのことを認めてしまう。
鍋の中にうずもれてゆくしずかなはまぐりは、ちょっとだけいま溺れているように見えて仕方なかった。
誰もいない部屋はほんとうにがらんどうだから、時々私はおじいちゃんに向かって声を放り投げる。
「聞いていても聞いていなくてもいいからね。あたしね、この間いわゆるおじいちゃんの時代でいう求婚っていうのされた。あ、花のほうのじゃなくて、結婚のことだよ。でね、まだ返事してないの。こわいの。誰かと暮らすっていうことがよくわからなくて。でもどうしたらいい?」
独り言の刹那、とうとつに私の背後で、ガシャポンって音がした。
火にかけた鍋の中で所せましとひしめいていたはまぐりの口が、開いた時の音だった。
黄泉から届いたおじいちゃんの返事かと思って、びっくりしたせつな笑った。
こういう時の笑いをひとりじめにしてると、すごく悲しくなる。
久しぶり聞くラジオから曲が流れてきた。
よくよく聞いていると、その男の人はつきつけられている。
イエスなのかノーなのか。
世の中にはどっちみちイエスとノーしかないのだから、あなたはどっちって畳みかけている女の人。
はいなのかいいえなのか。さいごの最後までそれしか言っていない昔の曲に耳を傾けながら、この歌詞は苦手だなって思う。
思うのに、たぶんメロディのせいか掛けっぱなしにしたままこまごまとしたことをする。
シリアルにあったかいミルクを注ぐ。
イチゴやリンゴのドライフルーツに深緑を薄めたようなヒマワリの種やココナッツのかけらが浮かんでる。だたっぴろい白い海のボウルのなかに。
みもふたもないぐらい、溶けてしまったシリアルはもうすでに年老いた人の食べ物のように思ってしまう。